浮かび上がった庭先の明かり
1968年、マイノット空軍基地の北から北西に広がる大草原は、核の風景だった。第91戦略ミサイル航空団は150基のミニットマン・ミサイルを、麦畑のあちこちに散らばるサイロに10基ずつの「飛行隊(フライト)」として配備していた。各フライトは発射管制施設の地下にあるカプセルから運用され、地上では飛行隊警備管制官と2人組の警備警戒チームが守っていた。10月24日に先立つ数週間、基地の28マイル北にあるOscar-1の警備管制官William Smith Jr.二等軍曹は、東へ西へと漂い、止まり、少し昇っては引き返す光を見ていた。彼は報告し、監視を続けるよう命じられた。2001年のインタビューで彼は、「くすんだ赤みがかった白」の輝きと、「この時間帯の航空機がするはずのことを、まったくしていなかった」光を思い出している。10月24日午前2時15分、R. McDowell一等空兵とW. Johnson一等空兵の2人組キャンパー・チームが、どうやらOscar-6発射施設から彼に無線で連絡してきた。そこでは照準チームが弾頭をむき出しにしたミサイルの作業中だった。持ち場の近くに奇妙な光がある、という。Smithの後の回想によれば、彼らは輝く物体がさほど遠くない木立のあたりに降りていくのを見た。照準チームの大尉は外にとどまる価値はないと判断し、サイロを閉じて基地へ戻った。2時30分、Smith自身がその光を見た。南へ約10マイル、地平線から15度の高さだった。同じころ、第91ミサイル整備中隊の一等空兵Robert O'ConnorとLloyd Isleyの2人が、定期整備のためNovember-7発射施設へ向かって砂利道を走っていた。施設の5マイル手前で、彼らは東の低い空に光があるのに気づいた。「それは2つの農家の庭先灯のあいだにあるように見えた。庭先灯のほうが少し小さかった」とO'Connorは空軍の質問票に書いている。「それから物体は明るさを増し、南東へ移動した」。2005年のインタビューで彼は、農家の庭先灯だと思っていたものが浮かび上がり、トラックと並んで走りはじめたと語った。ほとんど地面すれすれで、トラックを照らし出していたという。それが動き出すと、庭先灯は「もうそこになかった」。質問票には、物体は「こちらを観察しているようだった」とあり、車を止めてヘッドライトを消すと、物体も止まったように見えたと書かれている。彼らは基地に無線で連絡し、飛んでいる航空機もヘリコプターもないと告げられた。2人は丸腰だった。O'Connorの記憶では、Isleyはトラックの荷台に乗り込んで斧を取り出した。「小さな緑の男か何かがいた場合に備えて」。のちに目撃を地図上に落としていった研究者Thomas Tulienは、Smithの方位と整備チームの方位がともに同じ地点、Oscar-6の近くを指していることを突き止めた。
情報源: 背景Narrative of UFO Events at Minot AFB on 24 October 1968 · 1. Ground-visual UFO Observations (2:15–3:44)(1968年10月24日マイノット空軍基地におけるUFO事象の経過 · 1. 地上からの目視UFO観測、2時15分〜3時44分)インタビュー集
November-7上空のアカエイ
November-7に着いた2人はゲートの外に車を止め、光が南側の広い範囲を旋回するのを見守った。Isleyの記述によれば、それは前部に「ヘッドライトか着陸灯のような」光を、中央から後部にかけて点滅する緑の光を備え、灯火から判断するとKC-135空中給油機ほどの大きさに見えた。そして「2度、音が聞こえる距離まで近づいた。ジェットエンジンのような音だった」。2001年には彼の記憶はそれほど確かではなく、エンジン音というよりは空気が押し寄せるような音だったと回想している。O'Connorが見たのは「白い光の大きな球」で、それは鈍い緑に、次いで鈍い琥珀色に薄れ、「アカエイのような姿」になったように見えた。明るすぎて、はっきりした形は分からなかった。一度は半マイル以内まで近づいたと彼は見積もっている。彼らの無線の問い合わせは基地運用のディスパッチャーに回されていた。ディスパッチャーは何も飛んでいないことを確認すると、回線を管制塔とRAPCON(レーダー進入管制所)につなぎ、以後2時間にわたってO'Connorに物体の様子を語らせ、その言葉を記録し続けた。3時を少し過ぎたころ、O'Connorはゲートの鍵を開けて発射支援棟に下り、電話をかけた。午前3時の最初の記録にはこうある。「物体はN-7の南東、太陽のようなまばゆい光とともにサイトへ向かって移動中。……航空機にしてはまぶしすぎ、大きすぎる」。

情報源: Narrative of UFO Events at Minot AFB on 24 October 1968 · 1. Ground-visual UFO Observations (2:15–3:44)(1968年10月24日マイノット空軍基地におけるUFO事象の経過 · 1. 地上からの目視UFO観測、2時15分〜3時44分)AF Form 117, Sighting of Unidentified Phenomena Questionnaire · A1C Lloyd M. Isley(AF117様式、未確認現象目撃質問票 · Lloyd M. Isley一等空兵)Base Operations Dispatcher’s log, 0800–1010Z, 24 October 1968(基地運用部ディスパッチャー記録簿、1968年10月24日0800〜1010Z)
2つになった
O'Connorの電話は、10マイル北のNovember-1の警備管制官James Bond二等軍曹につながった。Bondの警戒チームにいたJoseph Jablonski一等空兵は、O'Connorの声がヒステリー寸前に聞こえたことを覚えている。施設の外からは、N-7の警備灯の上に明るい光が見え、「ありとあらゆるきれいな色に変わっていた」。3時8分、Bondは航空団警備管制に報告し、知らせは近隣のフライトへ広がった。JablonskiとGregory Adams一等空兵は武器を取ってN-7へ向かった。その道中、Jablonskiの記述によれば、「まったく同じもう一つの物体が東から現れ」、最初の物体のほうへ疾走したのち消えた。3時20分、航空団の警備管制官は、Oscar-1のSmithが、物体が2つに分かれて反対方向へ進み、戻ってきて互いの下をくぐり抜けたのを見たという報告を記録した。数分後には、JulietフライトとMikeフライトのチームも同じものを報告した。ディスパッチャーは3時28分にこう書いた。「いまは2つ見えている」。37年後、Jablonskiは報告書には書かなかったかもしれないと認めつつ、あることを付け加えた。明るい物体から10個以上の小さな光が流れ出し、流れ星のように、しかし流れ星ではない動きで飛び回っていたというのだ。Adamsもそれを見た、と彼は言う。「でも、彼は見たくなかったんだ」。2人が3時30分ごろN-7に着くと、ゲートは開いていて、Jablonskiの記憶では、整備兵たちはみな「撃て!」と叫んでいた。
情報源: Narrative of UFO Events at Minot AFB on 24 October 1968 · 1. Ground-visual UFO Observations (2:15–3:44)(1968年10月24日マイノット空軍基地におけるUFO事象の経過 · 1. 地上からの目視UFO観測、2時15分〜3時44分)Wing Security Controller’s summary and witness list(航空団保安管制官の要約と証人リスト)Base Operations Dispatcher’s log, 0800–1010Z, 24 October 1968(基地運用部ディスパッチャー記録簿、1968年10月24日0800〜1010Z)インタビュー集
「また誰かが空飛ぶ円盤を見ている」
その上空では、第5爆撃航空団のB-52H、コールサインJAG 31が、約10時間の訓練任務の締めくくりとしてマイノット上空で練習進入を繰り返していた。機長のDon Cagle大尉は、その朝遅くにアトランタでデルタ航空の採用面接を控えていた。1か月前にも抜き打ちの即応態勢検閲のせいで面接を一度逃していた。Tulienによれば、UFOの捜索が始まると彼は寝台に引き下がり、操縦を副操縦士のBradford Runyon大尉と、Cagleが評価を担当していた別クルーのパイロットJames Partin少佐に任せた。残りの乗員は、操縦室の下の区画にいたレーダー航法士Charles Richey少佐と航法士Patrick McCaslin大尉、電子戦士官Thomas Goduto大尉、射撃手Arlie Judd技術軍曹だった。補正後の時刻で午前3時45分、JAG 31が北西35海里の航法フィックスへ向けて上昇していたとき、RAPCONの管制官が1時の方向を見て「オレンジ色の光が見えないか確かめてくれ」と頼み、こう付け加えた。「また誰かが空飛ぶ円盤を見ている」。7分後、管制官は基地の気象レーダーがUFOを彼らの1時の方向3マイルに捉えていると伝えた。Runyonは、機上レーダーには何も映っておらず、「かなり濃いもや」の中にいて外が見えないと答えた。

情報源: Narrative of UFO Events at Minot AFB on 24 October 1968 · 2. B-52 Air-radar UFO Observation (3:44–4:02)(1968年10月24日マイノット空軍基地におけるUFO事象の経過 · 2. B-52の機上レーダーによるUFO観測、3時44分〜4時02分)Transcript of tape for 24 Oct 68 from 0830 to 0915(1968年10月24日0830〜0915の録音テープ書き起こし)Basic Reporting Data · SUBJ: UFO REPORT(基本報告データ · 件名:UFO報告)
1スイープで2マイル
McCaslinはRicheyに、爆撃航法レーダーを近距離用の「ステーション・キープ」モードに切り替えさせた。編隊飛行や空中給油機の後ろにつくときに使う360度の画面である。さらにレーダースコープ・カメラを作動させた。カメラは3秒ごとのスイープにつき1コマを撮影する。McCaslinの回想では、あるスイープで弱い反射があり、次に右翼の約3マイル先にきわめて強い反射が現れた。「KC-135と同じか、それより大きかった」。爆撃機がフィックスで180度旋回するあいだも、エコーは3マイルの距離を保ち、回り込んで最後には左翼の外に位置した。この位置を保つにはそれは6から8マイル移動したはずだ、と彼は考えた。インタビュアーが、それは知性を示唆しているということかと水を向けると、彼は同意した。「ああ、そういうことになるんだろうね」。やがてB-52が降下に入ると、エコーは2つのスイープのあいだに3マイルから1マイルへと跳び、McCaslinが言う「完璧な編隊」の位置に収まった。Runyonは、Richeyの声が甲高くなり、一瞬、衝突寸前なのかと思ったことを覚えている。その瞬間、爆撃機からRAPCONへの送信が文の途中で途切れた。地上の管制官たちは何度も呼びかけ、JAG 31にアイデントのスコークを求め、無線以外に何か問題があるならメーデーをスコークするよう求めた。メーデーは来なかった。その3週間前、マイノットのB-52が進入中に墜落し、乗員4人が死亡していた。
情報源: Narrative of UFO Events at Minot AFB on 24 October 1968 · 2. B-52 Air-radar UFO Observation (3:44–4:02)(1968年10月24日マイノット空軍基地におけるUFO事象の経過 · 2. B-52の機上レーダーによるUFO観測、3時44分〜4時02分)Transcript of tape for 24 Oct 68 from 0830 to 0915(1968年10月24日0830〜0915の録音テープ書き起こし)Basic Reporting Data · SUBJ: UFO REPORT(基本報告データ · 件名:UFO報告)インタビュー集
「10マイルあたりまでついてきた」
爆撃機が降下するあいだ、エコーは左翼の外に並んでついてきた。調査にあたった基地の将校Arthur Werlich中佐は、それが離れた地点を296ラジアル上の約14海里、高度およそ9,000フィートとしている。McCaslinは、それがビームの範囲から外れたのだと考え、その地上位置を爆撃航法コンピューターに記録した。そして無線が戻った。「進入を始めたとき、うちのUFOは左手にいた」とRunyonは報告し、すぐに続けた。「進入開始の35マイルの時点で左翼の外1.5マイルほどにいて、10マイルあたりまでついてきた」。管制官は、それが無線トラブルの原因だった可能性はないかと尋ねた。「分からない」とRunyonは答えた。「だが、トラブルが始まったのはまさにそのときだ」。一方November-7では、男たちが1時間見つめていた光が木立のほうへ沈んで消えた。ちょうど爆撃機が着陸灯をつけて西南西に姿を現したときだった。Jablonskiはその違いに気づいていた。B-52のエンジンは「はっきり聞こえたが、UFOはほぼ同じ距離にいても音ひとつ立てなかった」。JAG 31は4時6分にゴーアラウンドし、地上約1,500フィートで場周経路にとどまった。4時13分、管制官はまだUFOが見えるかと尋ねた。「レーダーにはなし、目視でも何も見えない」という答えが返った。管制官によれば、ミサイル・サイトからももう何も見えないとのことだった。その後に起きたことは交信記録にない。Runyonはある声を無線で聞いたことを覚えている。「某将軍が、もう一度回って物体の上空を通過せよと言っている」。その命令がどこから来たのかは、いまだに突き止められていない。TulienはSAC(戦略航空軍団)から回線をつないだものか、短波無線でGodutoに伝えられたものだろうと推測している。McCaslinの回想では、パイロットたちは目視で1回通過したら着陸するという条件で承諾した。それは「いちばん緊張した場面だった。あれの上を低高度で通過するんだから」。4時21分以降、交信記録からは時刻表示が消え、ダウンウインド・レグでの会話は欠落している。
情報源: Narrative of UFO Events at Minot AFB on 24 October 1968 · 2. B-52 Air-radar UFO Observation (3:44–4:02)(1968年10月24日マイノット空軍基地におけるUFO事象の経過 · 2. B-52の機上レーダーによるUFO観測、3時44分〜4時02分)Narrative of UFO Events at Minot AFB on 24 October 1968 · 3. B-52 and the Ground Observers at N-7(1968年10月24日マイノット空軍基地におけるUFO事象の経過 · 3. B-52とN-7の地上観測者)Transcript of tape for 24 Oct 68 from 0830 to 0915(1968年10月24日0830〜0915の録音テープ書き起こし)Basic Reporting Data · SUBJ: UFO REPORT(基本報告データ · 件名:UFO報告)Narrative of UFO Events at Minot AFB on 24 October 1968 · 4. B-52 Air-visual UFO Observations (4:24–4:28)(1968年10月24日マイノット空軍基地におけるUFO事象の経過 · 4. B-52の機上からの目視UFO観測、4時24分〜4時28分)インタビュー集
地上のミニチュアの太陽
左席から操縦していたPartin(Werlichの報告書は教官パイロットを右席としている)は、ブルーブック・ファイルに残る唯一の搭乗員の質問票を記入した。彼の記述によれば、操縦室の時計で4時30分から4時35分のあいだに、彼は「この地域の夜には見たことのない異様に明るい光」を見た。それは「機体の下の地面に置かれたミニチュアの太陽」のようだった。ダウンウインド・レグで「私の1時の方向に明るいオレンジ色の光の球」があり、おそらく15マイル先、地上かそのすぐ上に静止していた。彼はその約1マイル南、その上空でベース・レグに旋回したが、それは動かなかった。2001年のインタビューで彼は、それが長円形で、周囲に明かりのついた窓のようなものがあり、下の家々よりはるかに大きかったと付け加えた。家々は「サイコロくらいの大きさ」に見えたという。右席のRunyonはチェックリストから顔を上げると、すでにその真横に来ていた。Partinがほとんどその真上で機体を傾けるあいだ、彼はパイロット席の窓越しにおそらく10秒ほどそれを見つめた。2000年と2005年、彼はこう語っている。鈍い赤い輝きの中に暗い長方形があり、最初は扉の開いた納屋の屋根裏かと思った。それから「金属の円筒、ステンレスか光沢のあるアルミニウムのような」もの。その奥の端には、固体であると同時に半透明にも見える三日月形があり、円筒をほとんど昼間のように照らしていた。キャビンと思われる部分の内側に、色のついた光、たぶん緑と黄色がちらりと見えた。またしても無線が途絶え、管制官たちは彼に、送信が「文の途中ではなく、単語の途中で」途切れたと告げた。航法士の区画にいたMcCaslinは、操縦室から悪態が聞こえ、上がって見に来いと誘われた。だがベルトを外し、パラシュートもない状態で、彼は断った。「第41代大統領の言葉を借りれば、『賢明とは思えなかった』」。爆撃機は4時40分に着陸した。McCaslinの回想では、乗員が建物に入っていくと、いつものように彼がレーダースコープのフィルムを提出するのを待つのではなく、すでに人々がフィルムを受け取ろうと待ち構えていた。
情報源: Narrative of UFO Events at Minot AFB on 24 October 1968 · 4. B-52 Air-visual UFO Observations (4:24–4:28)(1968年10月24日マイノット空軍基地におけるUFO事象の経過 · 4. B-52の機上からの目視UFO観測、4時24分〜4時28分)AF Form 117, Sighting of Unidentified Phenomena Questionnaire · Maj. James A. Partin(AF117様式、未確認現象目撃質問票 · James A. Partin少佐)インタビュー集
Oscar-7で開いていたハッチ
着陸から9分後の4時49分、基地の24マイル北にあるOscar-7で、外周と内側の警報が同時に鳴った。外周ゾーンの警報は動物や吹きだまる雪でも作動したが、両方のゾーンが同時にとなると話は別だった。Smithは警備待機班のDonald Bajgiar一等空兵とVennedall一等空兵を送り出した。5時ごろ、帰り道にその施設のそばを通りかかったO’ConnorとIsleyは、警備灯が点き、ハッチが一つ開いているのを、ちょうど班が到着したところで目にしている。Werlichの報告書が調査結果を伝えている。金網フェンスの南京錠は開き、ゲートも開いたまま。内側では水平扉が施錠されずに開け放たれ、ダイヤル錠は設定位置から回されていた。そして「痕跡、足跡、圧痕はいっさい発見されなかった」。1週間後、Werlichはブルーブックに対し、あの南京錠を開けられる者は「農場地帯から来たいたずら者ではないだろう」と述べ、過去2、3年に起きた同様の侵入3件はいずれも空軍警察の仕業と突き止められたこと、人間の侵入者なら100のうち99までは鍵を持っていたはずであること、そしてこれは「重大な違反ではない」ことを語った。ブルーブックのCarmon Marano中尉は、UFOの出来事がそれを引き起こしたという証拠はないと答えた。Smithは2001年、のちにある中尉から、フェンス内の砂利敷きの駐車場で低レベルの放射線を検出した、「大きな円形のパターン」だった、と聞かされたことを覚えていた。これに触れた文書はない。ただしWerlichは、ガイガーカウンターを持って現場へ行きたいとブルーブックに伝えてはいた。
情報源: Narrative of UFO Events at Minot AFB on 24 October 1968 · 5. Oscar-7 Launch Facility Break-in (4:49)(1968年10月24日マイノット空軍基地におけるUFO事象の経過 · 5. Oscar-7発射施設への侵入、4時49分)Basic Reporting Data · SUBJ: UFO REPORT(基本報告データ · 件名:UFO報告)Memo for the Record · Telephone conversation of 31 Oct 68, Col Werlich – Lt Marano(記録用覚書 · 1968年10月31日の電話会話、Werlich中佐–Marano中尉)インタビュー集
西の緑の光
地上の男たちにとって、夜はまだ終わっていなかった。4時40分、配車係は、N-7が施設の3マイル西で再び物体を捉えたと記録した。物体は静止していて地上にあるように見え、その光は明るいオレンジから白、そして緑へと変わった。物体は消え、また現れ、移動し、5時10分には5マイルほど西、地上50フィートほどのところに緑色のまま動かずに浮かんでいた。November-1へ戻る車中で、Jablonskiはテレビドラマ『インベーダー』を引き合いに冗談を言い、Adamsを落ち着かせようとした。2人が最後に目撃したのは5時18分、西南西の方角だった。静止した物体はオレンジがかった赤から白、緑へと変わり、「そして緑の光がゆっくりと薄れはじめ、やがて見えなくなった」。November-1ではBondが5時34分までそれを見ていた。それは「着陸したように見えた」と彼は書いている。そして15分ほどののちに消えていった。班が戻ってきたとき、皆もう話し疲れていた、と彼は振り返る。「ひどく静かだった」。McCaslinは帰宅して妻のSammyを起こした。「今夜見たものを話しても、絶対に信じないだろうな」。彼は眠りに落ちたが、彼女はその夜の残りをずっと起きたまま外を眺め、あそこに何がいるのだろうと考えていた。
情報源: Narrative of UFO Events at Minot AFB on 24 October 1968 · 6. Final Ground-visual UFO Observations (4:26–5:34)(1968年10月24日マイノット空軍基地におけるUFO事象の経過 · 6. 最後の地上からの目視UFO観測、4時26分〜5時34分)Base Operations Dispatcher’s log, 0800–1010Z, 24 October 1968(基地運用部ディスパッチャー記録簿、1968年10月24日0800〜1010Z)Narrative of UFO Events at Minot AFB on 24 October 1968 · 4. B-52 Air-visual UFO Observations (4:24–4:28)(1968年10月24日マイノット空軍基地におけるUFO事象の経過 · 4. B-52の機上からの目視UFO観測、4時24分〜4時28分)
「白黒ではっきり写っている」
その朝7時30分、第5爆撃航空団情報部の分析官Richard Clark二等軍曹は、すべてを置いてレーダースコープのフィルムを分析するよう命じられた。普段の仕事は、ロシアとの戦争に備えて航空団の爆撃情報を更新することだった。14コマから彼は最低平均速度を時速約3,900マイルと見積もり、昼過ぎには乗員の証言を裏づける報告書を仕上げた。彼は8×10インチのプリントを2セット注文した。1セットは報告書用、もう1セットは自分の机用である。ワシントンから人が来ると告げられ、確かなのかと問われると、2003年の回想によれば、彼はこう答えた。「白黒ではっきり写っている。ほかの何かであるはずがない」。その日の午前遅く、Runyon、Richey、McCaslin、Goduto、Juddの5人は、第810戦略航空宇宙師団の司令官でマイノットの最上級将校だったRalph Holland准将の執務室に呼ばれた。Partinはその場におらず、Cagleはアトランタへ向かう途中だった。Runyonの記憶では、彼が何を見たのかを尋ねる者は誰もいなかった。代わりにHollandが、地上で何が起きたのかを彼らに語ったのだという。Holland自身は2005年のインタビューで、優秀な乗員、信頼できる面々だったこと、そしてレーダー航法士が「あの反射のレーダースコープ写真をしっかり押さえてある」と言ったことを覚えていた。上級司令部からの回答は、あれはUFOではない、仕事に戻れ、というものだったと彼は語った。
情報源: Investigation of UFO Events at Minot AFB on 24 October 1968 · 2. Strategic Air Command Investigations(1968年10月24日マイノット空軍基地におけるUFO事象の調査 · 2. 戦略航空軍団の調査)Ralph Holland准将(アメリカ空軍、退役)へのインタビュー、2005年インタビュー集
「この件を沈静化させるために」
基地運用部長のWerlichはマイノットのブルーブック担当将校も兼ねており、これが彼にとって初めてのUFO調査だった。その日の午後、彼はSAC(戦略航空軍団)司令部に技術的な支援を求めたが、規則に従えと言われただけだった。そこで4時30分ごろ、ライト・パターソンのプロジェクト・ブルーブックに電話をかけた。その日の彼の説明では、エコーは爆撃機の右側に現れ、時速約3,000マイルで左側へ横切り、両方の送信機が故障しているあいだ、20マイルほど左翼の外にとどまっていた。4日後の正式な報告書では、最初の探知は左側へと移され、速度は削られた。それからSACが強い関心を示した。10月28日、SAC作戦部の大佐がブルーブックの手順について2度電話をかけてきた。29日には、SACの情報部長に代わってH. V. Pullen大佐が、Hector Quintanilla中佐に速やかな予備報告を求めた。Quintanillaは、この反射はレーダー内部の故障か、気温の逆転層による異常な輝点だと「かなり確信している」と述べ、マイノットに誰も派遣していないのは「私のスタッフは4人しかいない」うえ、この事件は「[それほど]異常には見えなかった」からだと説明した。ブルーブックのメモによれば、Pullenは報告書を「この件を沈静化させるために」望んでおり、Quintanillaに「こうした場合にほかの航空機に起きたことを、少し強めに書いてほしい」と頼んだ。11月1日、「機上レーダーにかなり詳しい」FTD(外国技術部)のGoff氏が、球電に似た電離した空気のプラズマではないかと示唆し、同じ日、生データが届く前に、QuintanillaはSACにテレックスで、UFOは「おそらく球電型のプラズマである」と伝えた。SACは11月7日、司令官と幕僚が「きわめて強い関心を抱いている」と返信した。
情報源: Memo for the Record · UFO Observation, Minot AFB, North Dakota, 24 October 1968(記録用覚書 · UFO観測、ノースダコタ州マイノット空軍基地、1968年10月24日)Basic Reporting Data · SUBJ: UFO REPORT(基本報告データ · 件名:UFO報告)Investigation of UFO Events at Minot AFB on 24 October 1968 · 4. Project Blue Book Investigation(1968年10月24日マイノット空軍基地におけるUFO事象の調査 · 4. プロジェクト・ブルーブックの調査)Memo for the Record · talk with Mr. Goff, TDPA, on airborne radar(記録用覚書 · 機上レーダーについてのTDPAのGoff氏との会話)Teletype, Lt. Col. Quintanilla to Col. Pullen, SSO SAC · 012014Z November 1968(テレタイプ、Quintanilla中佐からSAC特別保安将校Pullen大佐へ · 1968年11月012014Z)Teletype, SSO SAC to FTD · 071540Z November 1968(テレタイプ、SAC特別保安将校からFTDへ · 1968年11月071540Z)Narrative of UFO Events at Minot AFB on 24 October 1968 · 2. B-52 Air-radar UFO Observation (3:44–4:02)(1968年10月24日マイノット空軍基地におけるUFO事象の経過 · 2. B-52の機上レーダーによるUFO観測、3時44分〜4時02分)
シリウス、ベガ、そしてプラズマの球
1968年11月13日付のQuintanillaの最終書簡は、4つの文でこの事件に決着をつけた。地上の目撃は「シリウスと、その空域を飛行していたB-52であるように思われる」。レーダーの接触とUHF送信の途絶は「球電に似たプラズマに起因する可能性がある」。Partinが見たものは「当時地平線上にあったベガかもしれないし、地上の光かもしれないし、あるいはプラズマかもしれない」。そしてOscar-7への侵入は「いかなる意味でもUFOとは関係がないように思われる」。これ以上の調査は予定されていなかった。添付資料は、南東の低空にあって逆転層越しに青、赤、白、緑と瞬いていたシリウスが警備兵たちの見た色とりどりの光を説明し、爆撃機の高高度での訓練機動が最初の目撃と時間的に一致している、と論じていた。Werlichも地上の目撃者についてはMaranoにほぼ同じことを語っており、「ほぼ80パーセントはB-52を見ていた」と述べていた。だが、パイロットたちがその上を飛んだ光については説明がつかなかった。そこには農地が広がっているだけで、あのような光を出すものは何もなかったのである。1968年の統計のために、ブルーブックはこの事件を、レーダー分析によりプラズマと特定された「識別済み」として処理した。

情報源: UFO Observation, 24 October 1968(UFO観測、1968年10月24日)Project 10073 Record · Minot AFB, 24 Oct 68(プロジェクト10073記録カード · マイノット空軍基地、1968年10月24日)Memo for the Record · Telephone conversation of 31 Oct 68, Col Werlich – Lt Marano(記録用覚書 · 1968年10月31日の電話会話、Werlich中佐–Marano中尉)Investigation of UFO Events at Minot AFB on 24 October 1968 · 6. Project Blue Book Evaluation(1968年10月24日マイノット空軍基地におけるUFO事象の調査 · 6. プロジェクト・ブルーブックの評価)
動きつづけた蓋
マイノット伝説で最も奇妙な部分、すなわち上から開けられたミサイルサイロの話は、数十年をかけて膨らんでいった。文書が記録しているのは、開いた南京錠、開いたゲート、施錠されていないハッチ、回されたダイヤル錠である。民間人による最も早い記述は、1969年12月にミネアポリスの技術者William McNeffがNICAPに宛てた手紙だ。彼の義理の兄弟がほかならぬClarkだったことがのちに分かる。手紙によれば、あるサイロでは外側と最も内側の警報が鳴ったが、巨大なコンクリートの蓋そのものに付いた中間の警報は鳴らず、目に見えて荒らされたものは何もなかったという。30年以上たってから記録されたRunyonのHolland説明会の記憶は、はるかに劇的だった。最初に送り出された空軍警察の班が報告してこず、2番目の班が行ってみると、彼らは意識を失っているか意識を取り戻しかけたところで、車両の塗装は焼け落ちており、「われわれのミニットマン・ミサイルの一つの上から、20トンのコンクリートの蓋が動かされていた」。McCaslinが覚えていたのは、何かがトラックの上に浮かんでいたという2人の空軍警察兵のことを、准将が同情的に話していたことだけだった。Clarkは、3つのサイロで警報が鳴ったと聞いていた。2008年になると、McNeffはGrand Forks Herald紙に、2人の空軍兵が気を失い、「蓋はサイロから完全に外れて草の上に転がっていた」と語っていた。Hollandはそのどれも受けつけなかった。「蓋がどこかへ行ったことなど一度もない」と彼は2005年に語っている。もし蓋が動いていたら、SACが「あっという間に駆けつけていた」はずだ、Runyonはあとから耳にしたことを覚えているのだろう、と彼は考えていた。Werlichの娘Melodyには、深夜に一家の自宅へかかってきた電話にまつわる、彼女自身の話があった。取り乱した若いミサイル要員が父親に、明かりの灯ったホテルを横倒しにしたようなものがミサイル施設の上に浮かんでいる、と伝えたのだという。
情報源: Narrative of UFO Events at Minot AFB on 24 October 1968 · 5. Oscar-7 Launch Facility Break-in (4:49)(1968年10月24日マイノット空軍基地におけるUFO事象の経過 · 5. Oscar-7発射施設への侵入、4時49分)Basic Reporting Data · SUBJ: UFO REPORT(基本報告データ · 件名:UFO報告)Letter to NICAP on the Minot sighting, December 3, 1969(マイノットの目撃に関するNICAP宛書簡、1969年12月3日)Investigation of UFO Events at Minot AFB on 24 October 1968 · 2. Strategic Air Command Investigations(1968年10月24日マイノット空軍基地におけるUFO事象の調査 · 2. 戦略航空軍団の調査)‘I didn’t know what this thing was’(「あれが何なのかわからなかった」)Ralph Holland准将(アメリカ空軍、退役)へのインタビュー、2005年Arthur Werlichの娘たちへのインタビュー、2001年2月
32年後
30年のあいだ、この事件はブルーブックのマイクロフィルム化されたファイルの中に眠っていた。そしてNICAPのフォルダーの中でも、McNeffの手紙とその写真のコピーは誰の目にも留まらずにいた。2000年2月、依然として説明を得られずにいたRunyonは、J. Allen Hynek UFO研究センターのアンケートに記入した。Thomas Tulienが率い、James Klotzが加わったSign Oral History Projectは、乗員と警備兵たちを探し出し、2000年から2005年にかけて彼らにインタビューした。Richeyは1995年に亡くなっていた。ブルーブックのマイクロフィルムのコピーよりはるかに鮮明なClarkのプリント一式は、McNeffを通じて彼らの手に渡った。イギリスのレーダー分析家Martin Shoughは2006年、流星、降水、雷、球電、オーロラ、鳥、人工衛星、干渉、妨害電波、異常伝搬を一つずつ検討し、「未確認エコーについて説得力のある説明は見いだされない」と結論づけた。フランスの公式UFO調査機関の創設者であるフランスの天文学者Claude Poherは、コマを測定して、最後のコマの時点で爆撃機の位置を高度8,865フィート、距離18.8海里とし、物体を包む電離した空気の層が爆撃機のUHF送信を吸収しながら、トランスポンダーの信号は通したのではないかと推測した。2011年に発表されたTulienの記述と調査は、あの夜について最も詳しい記録である。40周年に際し、テキサスで高校の理科教師になっていたMcCaslinはGrand Forks Herald紙に、あれが外なる宇宙から来たのか、それとも内なる宇宙から来たのか分からないと語り、ベガ説を、同紙が活字にするのを控えた一言で切り捨てた。「地面を見ているのに、どうしてそれが星でありうるんだ?」と彼は問いかけた。
情報源: インタビュー集Anomalous Echoes Captured by a B-52 Airborne Radarscope Camera: A Preliminary Report(B-52の機上レーダースコープ・カメラが捉えた異常エコー:予備報告)Analysis of Radar and Air-Visual UFO Observations on 24 October 1968 at Minot Air Force Base, North Dakota, USA(1968年10月24日アメリカ・ノースダコタ州マイノット空軍基地におけるレーダーおよび機上目視UFO観測の分析)Letter to NICAP on the Minot sighting, December 3, 1969(マイノットの目撃に関するNICAP宛書簡、1969年12月3日)‘I didn’t know what this thing was’(「あれが何なのかわからなかった」)Narrative of UFO Events at Minot AFB on 24 October 1968 · 3. B-52 and the Ground Observers at N-7(1968年10月24日マイノット空軍基地におけるUFO事象の経過 · 3. B-52とN-7の地上観測者)
慌ただしい一夜に対する薄いファイル
国立公文書館のマイクロフィルムに保存されたプロジェクト・ブルーブックの事件ファイルは145ページに及ぶ。Werlichがテレタイプで送った基本報告データ(BRD)、電話のメモ、地図2枚、航空団保安管制官の証人リスト、基地運用部ディスパッチャーの記録簿、RAPCON(レーダー進入管制)の録音テープの3ページの書き起こし、AF117様式の質問票7通、そしてきわめて不鮮明な複写の8×10インチのレーダースコープ写真13枚である。欠けているものも、収められているものと同じくらい多くを物語る。Werlichの報告書は、さらに9人の軍人の証人に名前を挙げずに触れ、関連のある情報を提供できる立場にいたのはそのうち1人だけだと述べるにとどまっており、質問票に記入したのは7人しかいない。乗員の質問票はPartinのものだけで、本来のクルーは誰も記入していない。Oscar-6のキャンパー・チームと照準チーム、そして物体が2つに分かれたと報告したJulietとMikeの両フライトの警備兵は一度も事情を聴かれず、最終報告書は名前の挙がった証人8人について詳細な情報が提出されなかったことを認めている。4人しかいないブルーブックのスタッフは、一度もマイノットに足を運ばなかった。最終報告書には、アラスカ州アイールソンで起きた無関係な1968年のレーダー・目視事例の索引カード(Tulienの推測では、SACが求めた比較事例としてかもしれない)と、視覚的錯覚に関する技術資料の抜粋が水増しのように添えられ、事件カードには「写真:なし」と記されている。
情報源: Documentation: the Project Blue Book case file, Minot AFB, 24 October 1968(資料:プロジェクト・ブルーブック事件ファイル、マイノット空軍基地、1968年10月24日)UFO Observation, 24 October 1968(UFO観測、1968年10月24日)Project 10073 Record · Minot AFB, 24 Oct 68(プロジェクト10073記録カード · マイノット空軍基地、1968年10月24日)Investigation of UFO Events at Minot AFB on 24 October 1968 · 4. Project Blue Book Investigation(1968年10月24日マイノット空軍基地におけるUFO事象の調査 · 4. プロジェクト・ブルーブックの調査)
14コマのレーダーフィルム
レーダースコープ写真こそ、この事例の硬い核である。Clarkのセットは771番から784番までの14コマ、ブルーブックのファイルには13コマある。そのうち13コマには、近距離の全周表示モードにしたB-52のレーダーが、方位マーカー、時計、そして「24 Oct 68」「B-52H 012」「ASQ-38」「Richey」「McCaslin」と手書きされたデータカードとともに写っている。Shoughの計測では、コマ771では右前方約1.6海里にエコーがあり、772では右翼の後方、773では左翼から約1マイルの位置に明るい二重のエコー、776から778では同じ位置に小さくまとまった単一のエコーがある。彼は、通常の目標もレーダーのアーティファクトも当てはまらないと判断した。最も有力な平凡な候補、すなわち遠方の地形からの二次掃引エコーとゴーストエコーの組み合わせは方位が約30度ずれており、彼自身がそれを退けている。ただし、これらのコマが捉えているのは遭遇の終盤近くの1分にも満たない時間である。Werlichによれば、Richeyがカメラを回し始めたのはパイロットの一人に勧められた終盤になってからで、Clarkは現存するよりはるかに多くのコマを覚えていた。それ以前にエコーが3マイルから1マイルへ跳んだという乗員の証言は、フィルムではなく、記憶と無線の書き起こしに拠っている。
情報源: B-52 Radarscope Photographs(B-52のレーダースコープ写真)Anomalous Echoes Captured by a B-52 Airborne Radarscope Camera: A Preliminary Report(B-52の機上レーダースコープ・カメラが捉えた異常エコー:予備報告)Investigation of UFO Events at Minot AFB on 24 October 1968 · 2. Strategic Air Command Investigations(1968年10月24日マイノット空軍基地におけるUFO事象の調査 · 2. 戦略航空軍団の調査)Memo for the Record · Telephone conversation of 31 Oct 68, Col Werlich – Lt Marano(記録用覚書 · 1968年10月31日の電話会話、Werlich中佐–Marano中尉)
食い違う時計と証言
記録の時刻は揃わない。RAPCONの書き起こしは最初の数項目が約10分早く、レーダースコープ・カメラの時計は約6分進んでおり、ブルーブック自身の時系列は爆撃機の最初の通過を3時35分、Partinの目撃を4時35分としているが、Tulienはそれを4時24分から4時28分ごろとしている。Isleyの質問票では彼の目撃は午前0時30分に始まっており、O'Connorより2時間早い。最終報告書はこの矛盾に触れながら説明していない。Werlichの説明も変遷した。10月24日にはエコーは右側に現れ、時速3,000マイルで動いたとされた。10月28日には左側に現れ、速度は示されなかった。正式な報告書では、エコーが近くにあった間、機内の誰も物体を目にしなかったとしながら、その3日後にはブルーブックに「着陸まで終始目視で捉えていた」と語っている。Runyonは物体を自分の左の窓の外に置いたが、Partinは1時の方向とし、最初に見たのは基地の北東だったと書いた。そして4時26分、乗員が物体の上空を飛んだと記憶している時刻に、ディスパッチャーはB-52が「接触なし」のまま再び周回したと記録している。
情報源: Narrative of UFO Events at Minot AFB on 24 October 1968 · 2. B-52 Air-radar UFO Observation (3:44–4:02)(1968年10月24日マイノット空軍基地におけるUFO事象の経過 · 2. B-52の機上レーダーによるUFO観測、3時44分〜4時02分)Narrative of UFO Events at Minot AFB on 24 October 1968 · 4. B-52 Air-visual UFO Observations (4:24–4:28)(1968年10月24日マイノット空軍基地におけるUFO事象の経過 · 4. B-52の機上からの目視UFO観測、4時24分〜4時28分)UFO Observation, 24 October 1968(UFO観測、1968年10月24日)Memo for the Record · UFO Observation, Minot AFB, North Dakota, 24 October 1968(記録用覚書 · UFO観測、ノースダコタ州マイノット空軍基地、1968年10月24日)Basic Reporting Data · SUBJ: UFO REPORT(基本報告データ · 件名:UFO報告)Memo for the Record · Telephone conversation of 31 Oct 68, Col Werlich – Lt Marano(記録用覚書 · 1968年10月31日の電話会話、Werlich中佐–Marano中尉)Base Operations Dispatcher’s log, 0800–1010Z, 24 October 1968(基地運用部ディスパッチャー記録簿、1968年10月24日0800〜1010Z)
公式回答を検証する
ブルーブックの判定は、どの部分にももっともらしい核と弱点がある。最初の光が現れたとき、爆撃機は確かにその一帯で練習飛行を行っており、のちには着陸灯を点けて進入してきたから、地上の観測者の何人かはそれを見ていたに違いない。Werlich自身、その割合を80パーセントとしている。夜空で最も明るい恒星シリウスは、午前4時に南南東の高度約24度にあり、靄を通して鮮やかな色にきらめくことがある。だがSmithは空が完全に曇っていたと述べており、発射施設の周りを旋回し、2つに分かれ、西の地面に降りていく恒星などない。ベガは、ブルーブック自身の表によれば北北西の地平線上にあり、西北西へ向かう爆撃機の右手にあたるが、乗員は眼下の光の上を飛んでいた。Tulienが指摘するように、球電はグレープフルーツほどの大きさで寿命が短く、雷雨に伴う現象である。このエコーは約2万フィートから9,000フィートまで降下しながら10分ほど爆撃機と並走したのであり、しかもそれは雷雨のない、涼しく靄のかかった10月の夜で、爆撃機の高度での視程は25マイルあった。懐疑論者のMichael Shermerは2008年にこの事例について問われ、レーダー接触は興味深いが何も証明しないと述べ、ある軍種が自分たちの行動を別の軍種に知らせていなかっただけではないかと疑問を呈した。
情報源: UFO Observation, 24 October 1968(UFO観測、1968年10月24日)Memo for the Record · Telephone conversation of 31 Oct 68, Col Werlich – Lt Marano(記録用覚書 · 1968年10月31日の電話会話、Werlich中佐–Marano中尉)Investigation of UFO Events at Minot AFB on 24 October 1968 · 6. Project Blue Book Evaluation(1968年10月24日マイノット空軍基地におけるUFO事象の調査 · 6. プロジェクト・ブルーブックの評価)‘I didn’t know what this thing was’(「あれが何なのかわからなかった」)
膨らんでいった記憶
鮮やかな細部の大半は、32年から37年後に録音されたインタビューに由来し、同じ人々が1968年に書いたものと照らし合わせることができる。Partinの質問票が記すのは「明るいオレンジ色の光の球」であり、明かりの灯った窓が登場するのは2001年になってからだ。Runyonの金属の円筒と半透明の三日月形が最初に語られたのは2000年で、Holland将軍は彼があとから聞いたことを取り込んだと考えていた。Jablonskiの小さな光の群れは、本人も認めるとおり1968年の様式には書かれていない。Oscar-7の放射線の輪はSmithただ一人の回想に、焼けた車両と意識を失った警備兵はRunyonがブリーフィングについて記憶していることに、開いたサイロの蓋は文書と矛盾する話に拠っている。航空団保安部の要約そのものが、O'Connorの報告を物体が「真上に」いたという話に誇張し、Bondのチームが物体を追って着陸地点から半マイル以内まで迫ったことにしているが、Bondは2005年にこれをきっぱり否定した。揺るがないのは文書に残る核心である。別々の場所にいた複数の地上証人、文の途中で途切れた無線の書き起こし、リアルタイムで中継された爆撃機乗員の報告、そして左翼の外にあるレーダーエコーの写真だ。
情報源: AF Form 117, Sighting of Unidentified Phenomena Questionnaire · Maj. James A. Partin(AF117様式、未確認現象目撃質問票 · James A. Partin少佐)Narrative of UFO Events at Minot AFB on 24 October 1968 · 4. B-52 Air-visual UFO Observations (4:24–4:28)(1968年10月24日マイノット空軍基地におけるUFO事象の経過 · 4. B-52の機上からの目視UFO観測、4時24分〜4時28分)Ralph Holland准将(アメリカ空軍、退役)へのインタビュー、2005年Narrative of UFO Events at Minot AFB on 24 October 1968 · 1. Ground-visual UFO Observations (2:15–3:44)(1968年10月24日マイノット空軍基地におけるUFO事象の経過 · 1. 地上からの目視UFO観測、2時15分〜3時44分)Narrative of UFO Events at Minot AFB on 24 October 1968 · 5. Oscar-7 Launch Facility Break-in (4:49)(1968年10月24日マイノット空軍基地におけるUFO事象の経過 · 5. Oscar-7発射施設への侵入、4時49分)Wing Security Controller’s summary and witness list(航空団保安管制官の要約と証人リスト)Investigation of UFO Events at Minot AFB on 24 October 1968 · 2. Strategic Air Command Investigations(1968年10月24日マイノット空軍基地におけるUFO事象の調査 · 2. 戦略航空軍団の調査)
- 1968年9〜10月
Oscar-1のWilliam Smith二等軍曹が、ミサイル基地群の上空を行き来する光を報告し、監視を続けるよう指示される。
- 1968年10月4日
マイノットのB-52Hが基地への進入中に墜落し、乗員4人が死亡する。
- 1968年10月24日 · 午前2時15分
Oscar-6のキャンパー・チームが施設の近くに奇妙な光があると報告する。弾頭がむき出しの状態で作業していた照準チームはサイロを閉じて引き揚げる。
- 午前2時30分
Smithが南に光る物体を見る。November-7へ向かう車中のO'ConnorとIsleyは、構内灯のそばから光が昇り、トラックと並走するのを目にする。
- 午前3時00分ごろ
N-7で整備兵たちが南を旋回する光を見守る。ディスパッチャーが彼らの電話回線を管制塔とRAPCONにつなぎ、記録をつけ始める。
- 午前3時08分
November-1のJames Bond二等軍曹が航空団保安管制部に報告する。JablonskiとAdamsがN-7へ向かい、2つ目の物体を目撃する。
- 午前3時20分〜3時28分
Oscar、Juliet、Mikeの各フライトの警備兵が、物体が2つに分かれたと報告する。ディスパッチャーは「今は2つ見える」と記録する。
- 午前3時45分
RAPCONがB-52のJAG 31に「オレンジ色の光」を探すよう求める。「また誰かが空飛ぶ円盤を見ているんだ」。
- 午前3時52分
管制官が、基地の気象レーダーが爆撃機から3マイルの位置にUFOを捉えていると伝える。靄の中のRunyonには何も見えない。
- 午前3時53分ごろ
McCaslinが右翼から3マイルの位置に強いエコーを見る。エコーは180度旋回の間も位置を保つ。
- 午前3時58分
エコーが掃引の合間に3マイルから1マイルへ跳ぶ。爆撃機の送信が文の途中で途切れ、RAPCONがメーデーのスコークを求める。
- 午前4時02分
無線が回復する。エコーは35マイルの地点から約10マイルまで左翼の外にとどまっていた。爆撃機が見えてくると、N-7の光は消える。
- 午前4時13分
JAG 31はレーダーにも目視にも何もないと報告する。将軍のものとされる命令で、物体の上空を飛ぶため再び周回する。
- 午前4時24分〜4時35分ごろ
Partinが地上またはその近くに「明るいオレンジ色の光の球」を見る。上空を通過する際、Runyonは光る円筒と三日月形を目にし、無線が再び途絶える。
- 午前4時40分
B-52が着陸し、レーダースコープのフィルムが回収される。N-7が、西3マイルに静止した物体を再び報告する。
- 午前4時49分
Oscar-7で外側と内側の警報が鳴る。警備チームは、門の南京錠とハッチが開いているのを発見するが、足跡はない。
- 午前5時18分〜5時34分
JablonskiとAdamsが、西南西で緑の光が薄れていくのを最後に見る。Bondはそれが着陸したように見え、5時34分までに消えるのを見届ける。
- 1968年10月24日 · 朝
Richard Clark二等軍曹がレーダースコープのフィルムを解析し、Ralph Holland准将が乗員と会う。Arthur Werlich中佐はその日の午後、ブルーブックに電話する。
- 1968年10月28〜29日
Werlichが基本報告データを送る。SACはブルーブックに「この件を鎮めるため」の予備報告を求める。
- 1968年11月1日
QuintanillaがSACに、UFOは「おそらく球電の類のプラズマ」だったとテレックスで伝える。
- 1968年11月13日
ブルーブックの最終報告書が、目撃をシリウス、B-52、プラズマ、そしておそらくベガによるものとし、調査を打ち切る。
- 1969年12月3日
William McNeffがClarkのレーダースコープ写真の複製を添えてNICAPに手紙を書く。手紙はファイルの中で誰にも気づかれずに眠る。
- 2000年2月
RunyonがUFO研究センターの質問票に記入する。同じ年、Sign Oral History Projectが乗員と警備兵への聞き取りを始める。
- 2005〜2006年
Claude PoherとMartin Shoughがレーダースコープのコマの分析を発表する。Shoughは説得力のある説明を見いだせない。
- 2011年2月
Thomas Tulienがこの事例の経過記録と調査報告を発表する。
情報源とインタビュー
情報源は原語のままです。タイトルと説明は翻訳されています。
背景Thomas Tulien · Sign Oral History Project · 第91戦略ミサイル航空団とその15の発射管制施設および150の発射施設、ならびに第5爆撃航空団Narrative of UFO Events at Minot AFB on 24 October 1968 · 1. Ground-visual UFO Observations (2:15–3:44)(1968年10月24日マイノット空軍基地におけるUFO事象の経過 · 1. 地上からの目視UFO観測、2時15分〜3時44分)Thomas Tulien · Sign Oral History Project · 2011年2月 · AF-117質問票、ディスパッチャーの記録簿、証人インタビューを収録Narrative of UFO Events at Minot AFB on 24 October 1968 · 2. B-52 Air-radar UFO Observation (3:44–4:02)(1968年10月24日マイノット空軍基地におけるUFO事象の経過 · 2. B-52の機上レーダーによるUFO観測、3時44分〜4時02分)Thomas Tulien · Sign Oral History Project · 2011年2月 · RAPCONの書き起こし、Werlichの報告書、乗員インタビューを収録Narrative of UFO Events at Minot AFB on 24 October 1968 · 3. B-52 and the Ground Observers at N-7(1968年10月24日マイノット空軍基地におけるUFO事象の経過 · 3. B-52とN-7の地上観測者)Thomas Tulien · Sign Oral History Project · 2011年2月Narrative of UFO Events at Minot AFB on 24 October 1968 · 4. B-52 Air-visual UFO Observations (4:24–4:28)(1968年10月24日マイノット空軍基地におけるUFO事象の経過 · 4. B-52の機上からの目視UFO観測、4時24分〜4時28分)Thomas Tulien · Sign Oral History Project · 2011年2月 · PartinのAF-117と、Runyon、Partin、McCaslinのインタビューを収録Narrative of UFO Events at Minot AFB on 24 October 1968 · 5. Oscar-7 Launch Facility Break-in (4:49)(1968年10月24日マイノット空軍基地におけるUFO事象の経過 · 5. Oscar-7発射施設への侵入、4時49分)Thomas Tulien · Sign Oral History Project · 2011年2月Narrative of UFO Events at Minot AFB on 24 October 1968 · 6. Final Ground-visual UFO Observations (4:26–5:34)(1968年10月24日マイノット空軍基地におけるUFO事象の経過 · 6. 最後の地上からの目視UFO観測、4時26分〜5時34分)Thomas Tulien · Sign Oral History Project · 2011年2月Investigation of UFO Events at Minot AFB on 24 October 1968 · 2. Strategic Air Command Investigations(1968年10月24日マイノット空軍基地におけるUFO事象の調査 · 2. 戦略航空軍団の調査)Thomas Tulien · Sign Oral History Project · 2011年2月 · Clarkのフィルム解析と、Ralph Holland准将による乗員の事情聴取Investigation of UFO Events at Minot AFB on 24 October 1968 · 4. Project Blue Book Investigation(1968年10月24日マイノット空軍基地におけるUFO事象の調査 · 4. プロジェクト・ブルーブックの調査)Thomas Tulien · Sign Oral History Project · 2011年2月 · ブルーブック、マイノット、SAC司令部の間の電話メモInvestigation of UFO Events at Minot AFB on 24 October 1968 · 6. Project Blue Book Evaluation(1968年10月24日マイノット空軍基地におけるUFO事象の調査 · 6. プロジェクト・ブルーブックの評価)Thomas Tulien · Sign Oral History Project · 2011年2月 · プラズマ、シリウス、ベガによる説明の検討Documentation: the Project Blue Book case file, Minot AFB, 24 October 1968(資料:プロジェクト・ブルーブック事件ファイル、マイノット空軍基地、1968年10月24日)Sign Oral History Project · 145ページのブルーブック・ファイル(国立公文書館マイクロフィルムT1206)の索引と各文書のスキャンProject 10073 Record · Minot AFB, 24 Oct 68(プロジェクト10073記録カード · マイノット空軍基地、1968年10月24日)プロジェクト・ブルーブック · アメリカ空軍外国技術部(FTD) · 事件索引カード · Sign Oral History Project経由Memo for the Record · UFO Observation, Minot AFB, North Dakota, 24 October 1968(記録用覚書 · UFO観測、ノースダコタ州マイノット空軍基地、1968年10月24日)プロジェクト・ブルーブック · Arthur Werlich中佐による最初の電話報告を記したCarmon Marano中尉のメモ · Sign Oral History Project経由Basic Reporting Data · SUBJ: UFO REPORT(基本報告データ · 件名:UFO報告)Arthur J. Werlich中佐、マイノット空軍基地第862戦闘支援群 · 1968年10月28日のテレタイプ · Sign Oral History Project経由Memo for the Record · Telephone conversation of 31 Oct 68, Col Werlich – Lt Marano(記録用覚書 · 1968年10月31日の電話会話、Werlich中佐–Marano中尉)プロジェクト・ブルーブック · 1968年11月1日 · 7ページ · Sign Oral History Project経由Memo for the Record · talk with Mr. Goff, TDPA, on airborne radar(記録用覚書 · 機上レーダーについてのTDPAのGoff氏との会話)プロジェクト・ブルーブック · 1968年11月1日 · 電離プラズマ説が最初に示された文書 · Sign Oral History Project経由Wing Security Controller’s summary and witness list(航空団保安管制官の要約と証人リスト)第91戦略ミサイル航空団 · 1968年10月 · Sign Oral History Project経由Base Operations Dispatcher’s log, 0800–1010Z, 24 October 1968(基地運用部ディスパッチャー記録簿、1968年10月24日0800〜1010Z)マイノット空軍基地運用部 · Sign Oral History Project経由Transcript of tape for 24 Oct 68 from 0830 to 0915(1968年10月24日0830〜0915の録音テープ書き起こし)マイノット空軍基地レーダー進入管制 · B-52のJAG 31との交信 · 3ページ · Sign Oral History Project経由AF Form 117, Sighting of Unidentified Phenomena Questionnaire · A1C Lloyd M. Isley(AF117様式、未確認現象目撃質問票 · Lloyd M. Isley一等空兵)第91ミサイル整備中隊 · 1968年10月28日 · プロジェクト・ブルーブック・ファイル · Sign Oral History Project経由AF Form 117, Sighting of Unidentified Phenomena Questionnaire · Maj. James A. Partin(AF117様式、未確認現象目撃質問票 · James A. Partin少佐)第5爆撃航空団第23爆撃飛行隊 · 1968年10月30日 · ファイル中唯一の乗員の質問票 · Sign Oral History Project経由Teletype, Lt. Col. Quintanilla to Col. Pullen, SSO SAC · 012014Z November 1968(テレタイプ、Quintanilla中佐からSAC特別保安将校Pullen大佐へ · 1968年11月012014Z)ライト・パターソン空軍基地外国技術部 · 生データの到着前に送られたプラズマ判定 · Sign Oral History Project経由Teletype, SSO SAC to FTD · 071540Z November 1968(テレタイプ、SAC特別保安将校からFTDへ · 1968年11月071540Z)戦略航空軍団司令部 · 「SAC司令官と幕僚は多大な関心を寄せている」 · Sign Oral History Project経由UFO Observation, 24 October 1968(UFO観測、1968年10月24日)Hector Quintanilla Jr.中佐、外国技術部空中現象課長 · 1968年11月13日 · 添付資料付きのプロジェクト・ブルーブック最終事件報告書B-52 Radarscope Photographs(B-52のレーダースコープ写真)Sign Oral History Project · Richard Clark軍曹の1968年のプリント・セットに含まれるレーダースコープの14コマと各コマの注記Anomalous Echoes Captured by a B-52 Airborne Radarscope Camera: A Preliminary Report(B-52の機上レーダースコープ・カメラが捉えた異常エコー:予備報告)Martin L. Shough · 2006年 · Sign Oral History Project刊Analysis of Radar and Air-Visual UFO Observations on 24 October 1968 at Minot Air Force Base, North Dakota, USA(1968年10月24日アメリカ・ノースダコタ州マイノット空軍基地におけるレーダーおよび機上目視UFO観測の分析)Claude Poher · 2005年8月、2005年11月英訳 · Sign Oral History Project刊Letter to NICAP on the Minot sighting, December 3, 1969(マイノットの目撃に関するNICAP宛書簡、1969年12月3日)William McNeff · NICAPワークシートを添えた手書きの書簡、CUFOS–NICAPファイルより · Sign Oral History Project経由インタビュー集Sign Oral History Project · Runyon、McCaslin、Partin、Goduto、Judd、Smith、Bond、Jablonski、O'Connor、Isley、Clark、Holland、およびWerlichの娘たちへのインタビューの書き起こし、2000〜2005年Ralph Holland准将(アメリカ空軍、退役)へのインタビュー、2005年Sign Oral History Project · 聞き手はThomas TulienとJames KlotzArthur Werlichの娘たちへのインタビュー、2001年2月Sign Oral History Project · James Klotzによる電話インタビュー‘I didn’t know what this thing was’(「あれが何なのかわからなかった」)Grand Forks Herald · 2008年10月24日 · 40年後のMcCaslin、Bill McNeff、Michael Shermer誤りに気づいたり、もっと良い情報源を知っていたりしたら、hello@uap.fun まで知らせてほしい。
関連ファイル
レイクンヒースのレーダーの夜12年前のイングランド上空。アメリカ軍が運用する基地のレーダー室がありえない機動を追跡し、RAFの夜間戦闘機が目標を追って飛び立った。テヘラン迎撃事件未知の光に迫るにつれてUHF無線を失ったもう一つの軍の乗員と、この事件を古典的な事例と呼んだ国防総省の分析官。マンスフィールド上空の緑の光5年後、夜間飛行中のもう一つの軍の乗員。陸軍予備役のヘリコプターに突進する赤い光と、応答のなかった管制塔への無線。レンドルシャムの森冷戦期の基地のアメリカ空軍保安要員、森の中の奇妙な光、そして語り直されるたびに膨らんでいった証言。プロジェクト・ブルーブックの内側誰一人ノースダコタに送ることなく、マイノットの件をプラズマとシリウスとして処理した4人の部署。J. Allen Hynek彼が創設したUFO研究センターこそ、2000年、いまだ説明を求めていたBrad Runyonが最後にたどり着いた場所だった。この事件について語る
ほかの読者とメモを突き合わせよう。目撃者の細部、情報源、そしていまだ辻褄の合わない部分について。フォーラムは英語です。
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