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事件ファイル / 070 — 1988

ナラボー横断の夜

1988年1月のある夜、ナラボーで、エッグカップに載った卵のような光が、パースの母親と3人の息子に向かって道路を進んできた。一家の話では、光は車を追いかけ、屋根に降り、車内を死の臭いのする灰色の霧で満たし、車を激しく落としてタイヤを破裂させた。ロードハウスのトラック運転手たちは屋根に4つのへこみを見つけた。研究所は黒い灰をブレーキダストと呼んだ。

白線の引かれた片側一車線の道路が、ガードレールの脇を通って岩がちの断崖をカーブしながら下っていく。右手には濃い緑の低木に覆われた広大な平原が、筋雲の浮かぶ淡い空の下、地平線まで続いている。
1988
マドゥラ峠を下ってロー平原へ向かうエア・ハイウェイ。2017年4月に展望台から撮影。あの夜、John De Jongのトラックは相棒の運転手と交代するためこの峠の上で停まった。Knowles一家の遭遇が報告されたのは、その先の平原のどこかである。写真:Bahnfrend、CC BY-SA 4.0、Wikimedia Commons経由。トリミングあり。

木のない平原

ナラボーという名はラテン語の「木がない」に由来する。エア・ハイウェイはその南端を、西オーストラリア州のノースマンから南オーストラリア州のセドゥナまで1,000キロメートル以上にわたって横切り、そのあいだにロードハウスより大きなものは何もない。マドゥラの東で道は石灰岩の断崖を下ってロー平原に入る。北に連なる高さ100メートルの丘陵と、南のグレートオーストラリア湾に挟まれた、ソルトブッシュとマリーの低木の帯である。地元の人々はこの区間を「ベイスン(the Basin、盆地)」と呼ぶ。マンドラビラはその途中にあるロードハウス兼モーテルで、西オーストラリア州最後の集落ユークラは道路標識によればさらに東へ約68キロメートル、小さな警察署がある。州境にはボーダー・ビレッジがある。この区間のロードハウスは独自の非公式な時間帯、パースより45分進んだ中部西部標準時(Central Western Time)を使っている。州境を越えた南オーストラリア州は1988年1月には夏時間で、パースより2時間半進んでいた。つまり一家の夜のドライブは3つの時計をまたいでおり、この混乱が、遭遇がいつ起きたのかを後に特定しようとするあらゆる試みにつきまとうことになる。ナラボーはすでにオーストラリアの民間伝承に居場所を持っていた。1971年と1972年、ユークラは「ナラボーの妖精(Nullarbor Nymph)」で世界の注目を集めた。カンガルーと一緒に走るという半裸の金髪女性で、結局は地元住民が仕組んだでっち上げだと判明した。

国道1号線の盾形標識のついた緑の道路標識に「Eucla 68, State Border 80, Ceduna 560」とある。砂地に立つ標識の脇を、誰もいない片側一車線の道路が、雲ひとつない青空の下、低木の平らな地平線へまっすぐ延びている。
2017年4月、マンドラビラのエア・ハイウェイ沿いの距離標識。1988年1月20日、Knowles一家はこの560キロメートルを走り切ってセドゥナに着き、そこで初めて警察に話をした。写真:Bahnfrend、CC BY-SA 4.0、Wikimedia Commons経由。 画像の出典 · CC BY-SA 4.0 · Bahnfrend

情報源: マンドラビラ事件1988年のナラボーUFOの謎――解明Time in Australia報道資料:「ナラボーで何が起きたのか?」ほかの切り抜き

1時間で決めた旅

Faye Knowlesは調査員たちの数えでは43歳(一部の通信社報道では48歳)で、24歳のPatrick、21歳のSean、18歳のWayneの3人の息子とともにパース郊外のミッドランドに住んでいた。1988年1月19日、一家はメルボルンまで車で行って彼女の姉妹を驚かせようと決めた。もっとも、後にHenleyが知ったところでは、誰一人ナラボーを横断したことはなかった。調査員たちに一家自身が語ったところでは、計画にかかったのはおよそ1時間だった。服をトランクに放り込み、銀行で金を下ろし、夫のKnowles氏に書き置きを残して、午後3時ごろ、青い1984年型Ford Telstarのセダンで家の犬2匹を連れて出発した。運転を交代しながら給油以外は止まらず、できるだけ速く横断するつもりだった。翌朝1時30分ごろ、一家はカイグナのロードハウスに入った。そこでビクトリア州フォレストヒルのGraham HenleyとJohn「Porky」De Jongという2人のトラック運転手が、女性1人と若い男3人が5リットルの缶にガソリンを詰めて東へ向かうのを目に留めた。

角形のヘッドライト、黒いバンパー、細いピンストライプを持つ1980年代初めの白い4ドアセダンが、郊外の通りの未舗装の路肩に停まり、後ろにほかの車が並んでいる。
Knowles一家の青い1984年型と同じARシリーズのFord Telstar。2009年、ニューサウスウェールズ州サザーランドで撮影。写真:OSX、パブリックドメイン、Wikimedia Commons経由。 画像の出典

情報源: マンドラビラ事件――続報マンドラビラ事件オーストラリアの家族がUFOとの接近遭遇を語る米テレビ会社がUFO報道に関心

闇の中のトラック

HenleyとDe Jongはそれぞれ自分のトラックでノースマンから一緒に出発していた。午前3時30分までにマドゥラ峠に着き、Henleyは雲ひとつない空で、どこにも雷鳴も稲光もないことに気づいた。峠の上でトラックを点検したDe Jongは星を見たが、月は出ていなかった。そこでDe Jongは、調査員たちがAnneという名でしか記していない女性の相棒にハンドルを任せ、寝台付きの運転室にもぐり込んだ。Henleyは先行し、40キロメートルほどのあいだ無線でDe Jongを呼び続けたが応答はなかった。暗く、道路はほとんど空っぽで、2台のトラックは、AnneがHenleyのライトを一度も見なかったほど離れていた。彼女の前方のどこか、Henleyの後方を、Knowles一家のTelstarがマンドラビラへ向けて東へ走っていた。

石だらけで低木に覆われた斜面を、低い木々の霞んだ平原へ向かってカーブしながら下るハイウェイ。低い朝日を受けて路面が銀色と金色に輝き、空は明るく霞んでいる。
マドゥラ峠のエア・ハイウェイの夜明け。2015年10月30日午前6時41分。1988年1月20日、トラック運転手たちは午前3時30分ごろ、暗闇の中でこの峠を下った。写真:Ben Cordia、CC BY-SA 4.0、Wikimedia Commons経由。トリミングあり。 画像の出典 · CC BY-SA 4.0 · Ben Cordia

情報源: マンドラビラ事件――続報マンドラビラ事件

エッグカップに載った卵

運転していたのはSeanで、トラック運転手たちの時計では朝の4時少し前だった。一家が翌日、アデレードの団体UFO Research (South Australia)――UFO Research Australiaの名でも刊行物を出していた――のKeith BasterfieldとRay Brookeに語った版では、Seanは最初、東から道路をこちらへ向かってくるトラックのヘッドライトだと思ったものを見た。それは「少し跳ね回った」あと消え、再び現れて、明るく大きくなりながら近づき続けた。Seanは「宇宙船」のようだったと言った。警察に対して一家は、黄色い芯を持つまばゆい白い光で、幅は約1メートル、道路の視界をふさぎ、前方で左右にジグザグに動いたと描写した。Seanはセドゥナの警官のためにそれを絵に描き、その絵がこの事件の象徴となった。警官の記述によれば、それはエッグカップに載った卵のようで、カップの底が地面に接していた。そこへ西行きの車が反対側からやってきた。一家の後の説明では、キャラバンを牽引した白いHoldenのステーションワゴンである。光をよけようとハンドルを切ったSeanは、その車にぶつかりそうになった。警察署でFayeとSeanは、光がこの2台目の車を追いかけ、自分たちの右側を回り込んでいったと語った。それから光は後ろにいた。SeanはUターンしてしばらく西へ走り、また向きを変えた。光から逃げていたのか、追っていたのかは結局はっきりしなかった。最初期の報道ではSeanは「引き返して見てみようと止まった」と語っている。

情報源: マンドラビラ事件――1988年1月20日:報告書、第2版マンドラビラ事件マンドラビラ事件――続報オーストラリアの家族がUFOとの接近遭遇を語るナラボー平原でUFO遭遇の報告

屋根の上の何か

次に起きたことを一家は順序立てて語ることができず、調査員たちは最終的にそれを箇条書きで載せた。屋根にドンという音がした。運転席の後ろに座っていたFayeは窓を下げて手を上に伸ばし、何かに触れた。警官には、それは「柔らかく、スポンジのようで、ゴムのようで、熱かった」と語ったが、火傷はせず、手は黒っぽい灰色の粉にまみれて戻ってきた。メルボルンの記者に対してSeanは、母は「ゴムの吸盤」のような感触だったと言っていたと語った。黒っぽい灰色の霧が車内に入り込み、一家が「死体」にたとえる臭いがした。ブーンとうなるような音がした。息子の一人はそれをヘリコプターの「パタパタ」した音ではなく「ウィーンという」音だと言い、Patrickは後にテレビで「ヴォーン、ヴォーン、ヴォーン」と真似てみせた。Henleyの伝えるところでは、家族の別の一人は「チェーンソー、甲高い悲鳴」にたとえた。Henleyが記憶する彼らの説明によれば、声は78回転のレコードを33回転で再生したように遅く低くなった。「タイムワープの中にいるみたいだった」とFayeは言った。犬たちは狂ったように暴れた。全員が叫び、泣き、Fayeは自分たちは死ぬのだと思った。助手席にいたPatrickは、窓を開けると黒い粉を浴び、それが「自分の体を乗っ取ろうとしている」ような感覚を覚えたと語った。一家は、車が路面から持ち上げられて叩きつけられたと信じており、その直後に右後輪が破裂した。Seanは気を失ったと言った。

情報源: マンドラビラ事件マンドラビラ事件――続報Knowles家のナラボー遭遇オーストラリアの家族がUFOとの接近遭遇を語るKnowles家のナラボーUFO

茂みに隠れて

車が止まると、一家は走って逃げた。その後の順序は証言によって食い違う。その日の午後に警察に提出した供述では、急いでタイヤを交換し、走り去ろうとしたところで、前方の道路の真ん中に再び白く輝く光を見て、車を道路脇の茂みの陰に入れ、光が去るまでばらばらに隠れた。報道の版では、まず30分ほど隠れ、それから戻ってタイヤを交換した。このとき10〜15キロメートル先にいたHenleyは後に、3時55分から4時10分ごろのあいだ、バックミラーに5分ほど光が見えていたと語った。「大きな卵みたいで、目玉焼きを逆さに吊るしたようだった」。車のライトというより映写機の光に近く、「別のトラックにしては高すぎた」。最初はDe Jongがいたずらをしているのだと思った。一家の後方では、Anneがマンドラビラの西40キロメートル標識の近くで、道路の反対側で手を振る2人とすれ違い、その150メートル先でパースの方向を向いて停まっている車を通り過ぎた。彼女は止まるべきかDe Jongに尋ねた。彼は寝台から身を起こし、止まるなと言った。その後、1台の車が猛スピードでトラックを追い越し、追い越したあとしばらくライトを消して走った。Anneにとっては、ライトなしで走るにはまだあまりに暗い夜だった。一家は後にHenleyに、あの区間には至るところに車があったが誰も乗っていなかったと語った。Henleyはそれを、停めた車の中で眠っている運転手たちのことだろうと考えた。

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怯えきった4人

Henleyがマンドラビラ・モーター・ホテルに入り、トラックの後ろへ歩いていたとき、Telstarが到着した。彼はカイグナで見た4人だとわかった。「説明はできない」と彼は最初の数日に語った。「わかっているのは、水曜の朝4時45分に、ひどく怯えた4人を見たということだけだ」。4人はいっせいに話そうとした。一人は火傷をしたと言い、別の一人は空飛ぶ円盤につかまれたと言い、もう一人は持ち上げられて落とされたと言った。4人目は口を開けたり閉じたりするだけで、意味のわからない音しか出てこなかった。息子の一人は裸足で、足から血が出ていた。Henleyはワイパー、スポイラー、リアウインドウに細かい黒い粉がついているのを見つけた。「すりガラスの粉のよう」で、ベークライトのような臭い、「あるいはヒューズを飛ばしたときのような」臭いがした。屋根には「磁石で車を持ち上げたかのような」4つのへこみがあった。De JongとAnneが着いたとき、De Jongには灰などまったく見えず、ありふれた道路の汚れがあるだけだったが、彼もベークライトの臭いは感じ、へこみは拳の跡のように見えると思った。Henleyの話では、Anneは車の匂いを嗅いで「母さんの古い電気ポットがこんな匂いだった」と言った。Fayeの左手の甲には赤い斑点があり、彼女はそこで屋根の上の何かに触れたのだと言った。Henleyが触ってみると、それは「冷たかった。じっとりしているのではなく、大理石のように冷たかった」。彼女は「誰かがけがをする」と繰り返し続けた。Henleyは、空の冷蔵トレーラーに車を積んで、どこでも好きなところまで送ろうと申し出た。一家は断り、缶から給油して30分もしないうちに東へ去った。ロードハウスの支配人Shirley Lundonはユークラの警察に電話した。

平らな給油キャノピーと「FUEL」の文字が縦に並ぶ白く高い看板、カフェのマークを備えた低いロードハウス。広大で何もない砂利の前庭の奥にあり、給油機のそばにキャンピングカーが1台、筋雲の浮かぶ青空の下に数本のユーカリの木が立っている。
2002年11月のマンドラビラのロードハウス。1988年1月20日の夜明け前、一家はここに車を入れ、支配人のShirley Lundonがユークラの警察に電話し、De Jongが巡査部長に知っていることを話した。写真:Nachoman-au、CC BY-SA 3.0、Wikimedia Commons経由。 画像の出典 · CC BY-SA 3.0 · Nachoman-au

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現場へ戻る

トラック運転手たちは自分の目で現場を確かめたかった。ロードハウスからユート(荷台付きの小型ピックアップ)を借り、Anneと一緒にゆっくり西へ引き返しながら、3つのものを探した。バーストでアスファルトに残るゴム、Telstarの割れた運転席側ミラーのガラス(一家はカンガルーがぶつかったと言っていた)、そして一家が置いてきたというジャッキとホイールレンチである。どれも見つからなかった。代わりに、Anneが車を見た地点で、茂みへ駆け込んでいく4組のつま先立ちの足跡と、道路脇を歩いて戻ってくる4組の足跡を見つけた。戻りの足跡には犬の足跡が混じり、1組は裸足、1組はビーチサンダル、2組は靴だった。さらにジャッキの四角い跡と、車がパンクしたタイヤで路外へ出て、正常なタイヤで戻り、それからUターンした痕跡があった。De Jongは15〜20メートルのスキッドマークを記憶していた。数か月後にBill Chalkerの聞き取りを受けたHenleyは約2メートルと言い、Uターンの跡は日中に見ると3、4回分あったと語った。帰り道、彼らはマンドラビラの西20キロメートルで車の中で眠っている男を見つけた。ユークラから来た西オーストラリア州の警官2人は午後2時にこの区間に着き、Dennis Sutton巡査部長の話によれば「何も、証拠は何も」見つけなかった。スキッドマークはなく、足跡は誰のものとも判別できず、黒い灰もなかった。ジャッキはすでに誰かに見つけられていた。Normanが後に聞いたところでは、ノースマンの作業員が拾い、持ち主のためにその場に置いていったという。

グレートオーストラリア湾の奥の地図。エア・ハイウェイが赤い線で海岸沿いに描かれ、西オーストラリア州のカイグナからマドゥラ峠を過ぎ、ベイスン内の報告地点を示す黄色い星、マンドラビラのロードハウス、ユークラ、ボーダー・ビレッジを経て、破線の州境を越えて南オーストラリア州のペノンとセドゥナへ至る。
1988年1月20日の一家の経路。カイグナの給油所からセドゥナの警察署まで。星は最もよく引用される遭遇地点、マンドラビラの西約40キロメートルを示す。Henleyは後に西へ70〜75キロメートルとし、初期の報道の一つはロードハウスの東としていた。地図:uap.fun作成、Natural Earthのパブリックドメインデータを使用。 画像の出典

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セドゥナまで500キロメートル

一家はユークラには止まらなかった――その警察署は見かけなかったと彼らは言う――し、南オーストラリア州で最初の警察署があるペノンにも止まらなかった。500キロメートル以上を走り続け、南オーストラリア時間の午後1時ごろ、SeanとPatrickがセドゥナの警察署に入った。偶然にも、ポートリンカーンの現場鑑識課の上級巡査が別の用件で町に来ていた。数時間のうちに取られた彼の供述書は、同時代の記録に最も近いものである。兄弟は彼に、光は車の15〜18メートル前方にあった、それが屋根に降りたとき時速約110キロメートルで走っていた、遭遇は西オーストラリア時間の午前5時30分ごろだったと語った。彼はポイントン・ストリートでTelstarを調べた。屋根の四隅に表面的なへこみがあった。車の外側は「洗車が必要な車に残る路面の膜に似た、細かい黒/灰色の粉塵」に覆われ、同じ粉塵が座席にもついていた。タイヤはどれも少なくとも4分の3の溝が残っていた。トランクから出された破裂したタイヤは、トレッドの付け根で外側面がぐるりと一周裂けていた。彼は粉塵の試料2点を粘着テープで採取した。セドゥナ警察のJim Furnell巡査部長は記者たちに、一家は「身近な誰かが亡くなったかのように動揺していた」と語り、Fred Longley巡査部長は「我々が真剣に受け止めないわけにはいかないほど目撃者が多い」と述べた。Furnellは午後2時30分ごろアデレードのRay Brookeに電話し、一家がそのまま車で進んで調査員たちと会う段取りをつけた。

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マグロ漁船

翌朝までに、話には2組目の目撃者が加わっていた。AP通信は、50マイル離れたマグロ漁船の乗組員たちが、数分後にUFOが船の近くをかすめ飛び、自分たちの声が聞き取れなくなったと語ったと報じ、Furnellは、彼らが一家のことを知っていたはずはないと述べた。彼の名をFennellと綴ったUPI通信によれば、彼はその夜の報告を4件と数えていた。一家、UFOに追われたトラック運転手、ハイウェイ近くで明るい光を見たマグロ探索機、そしてグレートオーストラリア湾のトロール船である。Port Lincoln Times紙はその船をEmpris Ladyと名指しした。乗組員が探索機のパイロットを通じて明るい白い光を報告したといい、さらに別の船Monikaの乗組員が1週間前にUFOを報告していたと付け加えた。それから船の話は遠のいていった。3月、2か月の航海から港に戻ったばかりのEmpris Ladyの匿名の乗組員が警察に語ったところでは、彼が真夜中過ぎの0時30分ごろ見張りに立っていると、上に赤い光、下に緑の光をつけた明るい白い光が船に「すぐ近く」まで来た。彼はそれを30秒ほど見つめ、別の乗組員を呼びに行き、10秒後にそれが北へ飛び去るのを見た。日付には自信がなく、同じ晩だったかもしれないと言ったが、Normanが掲載した同船のカナダ人乗組員の陳述では数日後とされている。アデレードの調査員たちがようやく探索機のパイロット、White氏を見つけると、彼はMonikaの乗組員10〜12人が見た色の変わる光について語った。構造を持つ物体はなく、電気的な影響もなく、誰の声も変わらなかったという。そして、その話はKnowles家の件が放送される2日ほど前に聞いていたと強く主張した。ビクトリアUFO研究協会(Victorian UFO Research Society)のPaul Normanは、スローモーションの声は記者のでっち上げだとMonikaの船主が言っていたと伝えている。

情報源: Australia-UFOオーストラリアの家族がUFOとの接近遭遇を語る漁師たちがUFO目撃を報告新たなUFO「目撃」船員が「異様な光景」を見たと語るマンドラビラ事件――続報ナラボー平原沿いのUFO遭遇

ウディナのクーラーボックス

一家はアデレードでの約束を果たさなかった。アデレードのChannel 7の報道責任者Frank Pangalloは水曜の夜に警察から情報を得ると、セドゥナに電話して一家の出発時刻を確かめ、エア半島のウディナを通過する時刻を割り出し、そこでEyre Highway Motelを経営する元同僚のPaul Jacksonに電話した。「クーラーボックスの箱の上に座って、彼らが来るまでひたすら待っていてもらったんだ」とPangalloは1月24日、メルボルンの日曜紙に語った。Jacksonは一家の車を止めて中へ招き入れ、そのあいだにPangalloは軽飛行機で飛んできた。本人によれば、誰よりも3時間早く着いたという。一家はChannel 7の番組Hinch at Sevenとの独占契約に署名した。報じられた額は5,000ドルで、ほかのメディアには3か月間沈黙するという条件だった。4つの州都から来た撮影班が町じゅうを探し回るなか、Pangalloは車をウディナの農場に隠し、ライバルのNineネットワークのMike Willeseeのチームがエア半島で最大2万ドルの提示をちらつかせていたと言って取引を正当化した。BasterfieldとBrookeは、これを「小切手帳」ジャーナリズムが科学的評価に勝った例だと評した。二人は翌日Channel 7のスタジオで3時間を得て、テレビのインタビューの合間に一家と非公式に話した。最初の48時間で、Brookeは国内外のラジオ、テレビ、新聞から100件近い電話を受け、Channel 7の6時のニュースのトップ項目に出演した。シカゴのUFO研究センター(Center for UFO Studies)のGeorge Eberhartは、Sun紙に「これに似た事例はほかに思いつかない」と語った。『ダイナスティ』の製作会社Aaron Spelling Productionsが、物語の権利をめぐってChannel 7と予備交渉中だと報じられた。その週を振り返ったCanberra Times紙は、タブロイド紙が「ネタ枯れの季節(Silly Season)の終わりに舞い込んだこの贈り物に、ほとんどヒステリックなほど大喜びしている」と書きつつ、「光る巨大なニワトリの気配はない」と記した。

情報源: Knowles家のナラボー遭遇報道資料:「ナラボーで何が起きたのか?」ほかの切り抜きマンドラビラ事件――1988年1月20日:報告書、第2版Ray Brooke――オーストラリアのUAP研究者の逝去米テレビ会社がUFO報道に関心しばらくのあいだ、首都特別地域で何かが腐っていた

ブレーキダスト

Channel 7はオーストラリア鉱物開発研究所(Australian Mineral Development Laboratories)、AMDELに、1月22日にウディナで車を調べるよう依頼した。AMDELの分析者Monty Lukeは、「車体にも車内にも、目立った灰や粉塵の痕跡はない」とした。前輪には黒い粉塵があり、彼はそれを採取してブレーキパッドの粉塵と比較した。それは磁鉄鉱と真鍮、酸化鉄、銅、亜鉛で、「摩耗したブレーキパッドとディスクの粉塵に特徴的」であり、「目立った異物はない」。ただし彼自身の表では、Telstarの粉塵は比較対照のブレーキパッドよりケイ素、アルミニウム、銅、亜鉛、スズがはるかに多かった。放射線測定器は屋根、座席、車輪のいずれでもバックグラウンドを超える値を示さなかった。へこみは「屋根を持ち上げようとした跡というより、物体が屋根に押しつけられた跡と一致する」もので、タイヤの損傷は空気の抜けたタイヤで長時間走行したことと一致し、報告書によればそれで臭い、煙、振動の説明がつく。1月29日付の報告書が出るずっと前に結果は漏れていた。メルボルンの日曜各紙は1月24日にそれを報じ、BasterfieldとBrookeはSevenの正式発表を25日としている。1月23日土曜日、メルボルンの親族がFaye、Patrick、Wayneをダンデノンの私立病院に連れて行き、医師はそれぞれにコーヒーを1杯出して「無理をしないように」と告げた。Channel 7でFayeは、検査結果は「私たちを嘘つき呼ばわりしている」と語った。Pangalloは、へこみのいくつかは古い傷だが2つは比較的新しく見えると言い、「彼らが何かを見たことを本気で疑っている人はいない。ただ、何も車にぶつかってはいないというだけだ」と述べた。後に彼はメルボルンのSun紙に、一家はひどいトラウマで話ができず、2度鎮静剤を投与されたと語った。Sun紙の記者は、その30分前に一家に電話したところ、新聞社が金を払うなら話すとSeanが持ちかけてきたと書き添えた。一方、警察の試料は公の場でしぼんでいった。「そんなのはでたらめだ」と南オーストラリア州の鑑識警察を率いるSchulz警視はSun紙に語った。手元にあるのは路面の汚れとおぼしきごく微量の汚れがついたスライド2枚だけで、比較すべき車もない。報道陣が西海岸のホテルの小屋に隠してしまったからだ。自分の州では何の犯罪も起きていないのだから、検査は行わない、と彼は言った。

情報源: マンドラビラ事件マンドラビラCE2の試料Knowles家のナラボー遭遇報道資料:「ナラボーで何が起きたのか?」ほかの切り抜きマンドラビラ事件――1988年1月20日:報告書、第2版

駐車場の車

2月2日、ウディナからアデレードへトラックで運ばれたTelstarがChannel 7の駐車場で公開され、調査員たちはそれを調べ上げた。数メートル離れると4つのへこみは見えにくく、近くで見ると屋根の隅近くにある小さく浅いくぼみで、塗装は割れておらず、ルーフラックはなかった。運転席側のミラーはなくなっていた。黒い付着物があったのは、ディスクブレーキの付いた2つの前輪のホイールトリムだけで、強いブレーキをかけたときに残るような分布だった。破裂したタイヤはトレッドが半分残ったDunlopのスチールベルト・ラジアルで、スチールベルトが終わる線に沿って円形に裂け、バルブがなくなっていた。いま車に付いているスペアは再生タイヤだった。床には砂と食べ物や飲み物の容器が散らばっていた。前日、Paul Normanを含むビクトリアUFO研究協会の調査員たちが試料採取のため車内を掃除機で吸っており、Channel 7のカメラの前で同僚のJohn Auchettlが前輪をジャッキで浮かせ、速度計をフルスケールの時速200キロメートルまで回してみせた。この実演は、SeanがSun紙に語った速度200キロメートルを出せるTelstarがあるなら見せてほしいと求めていたメルボルンのAge紙の読者への答えだった。ビクトリアの協会の会報にとって、それは同じ車が、何かに持ち上げられたときのように車輪が宙で空転していれば200を表示しうることの証明だった。

情報源: マンドラビラ事件UFOの足跡を追ってKnowles家のナラボー遭遇

顕微鏡の下の粉塵

試料は3組採取され、どれも決着をつけなかった。AMDELの試料はブレーキダストだった。事件の7〜8時間後、現場から600キロメートル離れて採られた警察のテープ試料は分割され、1988年11月に始まった交渉の末、半分がアデレードの研究者たちの手に渡った。Basterfieldは自分の分を、ペンシルベニア未解明現象研究協会(Pennsylvania Association for the Study of the Unexplained)のStan Gordonを通じてJ. Mathersという分析者に送った。その走査型電子顕微鏡が見つけた粒子は2種類だった。塩化ナトリウム、つまり食塩の結晶と、ありふれた粘土である。ビクトリアの協会が掃除機で集めた試料はメルボルンのMonash Universityに送られ、さらにアメリカの研究者Richard Hainesを通じて、Philipsの走査型電子顕微鏡を持つ研究所に送られた。Normanはそこを「Philips研究所」と呼んだ。Australasian Post誌によれば、Monashの鉱物学者Alf Hohmannが見つけたのは主に塩化カリウムで、ありふれた物質が異例の量で含まれていたという。Auchettlは、塩素と塩化カリウムに富む大きな黒い板状粒子が「高速下での冷却」を示していると書いた。Hainesの報告書は、ブレーキダストと後部床の粉塵がまったく異なるとした。床の粉塵は大半が繊維で、一部はセルロース、一部は「配管の断熱材に典型的だがアスベストではない」もので、分析者は、元素番号85のアスタチンも「試料中に存在する可能性があり、比較的長いNaClの繊維も同様で、これは珍しい」と付け加えた。Normanはアスタチンを大きく取り上げた。Hainesその人は、この地域の対照試料を検査するまでは、床の粉塵がナラボー横断の旅でたまったごく普通のものにすぎないのかどうか誰にもわからないと述べた。現場の土を採取した者は一人もいない。ビクトリアの協会が送ったHainesの報告書の写しは、現在オーストラリア国立公文書館にあるオーストラリア空軍のファイルに収まっており、現存する軍の文書の中でこの事件の最も実質的な痕跡となっている。1988年の軍の唯一の公式な言葉は、アデレード北方の空軍基地エディンバラのRAAF広報官によるもので、その地域に軍用機がいたとは承知していないというものだった。

情報源: マンドラビラCE2の試料マンドラビラ事件――続報マンドラビラ試料の粒子分析ナラボー平原沿いのUFO遭遇A9755, 5:UFO報告(異常な空中目撃)、RAAF支援軍司令部、1986〜1992年Australia-UFO

二方向に進む物語

調査員たちが聞き取りを続けるうちに、物語は同時に二つの方向へ動いた。ビクトリアの協会はより多くを聞いた。Timothy Good編『The UFO Report 1990』に掲載されたNormanの記述では、遭遇の15分前からカーラジオが雑音だらけになり、街灯などない土地なのに最初は街灯と見誤った光の一群が現れ、Patrickが「なんで俺たちなんだ」と叫んで脳が頭から引き抜かれるように感じ、ビクトリアの調査員たちがメルボルンで一家に会ったときFayeの右手と腕は腫れており、犬の毛がごっそり抜け、ボーダー・ビレッジのガソリンスタンドの店員は車から「焼けた絶縁材」と「間違いなくオゾンのような匂い」を嗅いだという。屋根の上の感触さえ、語り直されるたびに膨らんだ。警察の供述では柔らかくスポンジのよう、メルボルンの最初の新聞では「ゴムの吸盤」、1月末のSun紙の特集では「ヒルのように屋根に吸いついた巨大な吸盤」、そしてFayeがビクトリアの協会のJudith Mageeに語ったところでは、タートルネックのセーターの首の部分のようだったという。Normanは、Knowles家の夜を車が持ち上げられて落とされた既知の事例の14件目に数え、「これは失敗に終わったアブダクションの試みだったと信じる理由がある」と結論づけた。彼はこれを、1973年にオハイオ上空で上へ引き寄せられたとLarry Coyneの乗員たちが語った陸軍予備役のヘリコプター――彼の見方ではもう一つの失敗した試み――や、1978年にバス海峡上空で若いパイロットFrederick Valentichが消えた事件――成功したアブダクションではないかと彼が疑った事件――と並べた。Valentichの父Guidoはビクトリアの協会の会員だった。1988年にようやく一家にきちんと聞き取りを行ったアデレードのグループは、より少なくを聞いた。一家は車がどれほどの高さまで上がったか言えず、下の地面を見ようと外を見たこともなく、それがどこで起きたのかも正確には言えなかった。2回のUターンは3回か4回になった。車にカセットテープはなかったと一家は否定したが、Henleyはテープが流れていて、彼らの声と同じように遅くなったのだと信じていた。メルボルンの獣医は犬にノミがいると言い、毛はまた生えてきた。Sean、Patrick、Fayeはメルボルンで催眠をかけられ、FayeとPatrickはアデレードでも再びかけられた。新しいことは何も出てこず、アブダクションの話も出てこなかった。

情報源: ナラボー平原沿いのUFO遭遇UFOの足跡を追ってマンドラビラ事件――続報Knowles家のナラボー遭遇報道資料:「ナラボーで何が起きたのか?」ほかの切り抜き

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この事件で一家は以前より苦しい立場に置かれた。呪われたと考えるようになった車は差し押さえられ、競売にかけられた。Northern UFO NewsでのJenny Randlesの記述によれば、一家の代理人も務めていたある興行師がそれを買い取り、見物料を取って巡業に出した。Normanは、一家が失った額は2万ドル近くにのぼり、その大半は車に縛られていたと書いている。日本のテレビ局の取材班がナラボーであの夜を再現し、家族のうち2人に再び催眠をかけ、それから、Normanによれば、約束していた日本への招待を取り消した。ナラボーは伝説を手放さなかった。誰かがマンドラビラの西の道路脇に「UFO base Booking Office」(UFO基地予約受付所)とスプレーで書き、別の誰かが「Cut rates for Earth」(地球行き割引あり)と書き足した。ロードハウスはUFOスプーン、缶ホルダー、ステッカー、絵はがきを売り、州境近くの標識は、この先111キロメートルはUFOに注意と旅行者に警告した。1988年10月17日、Pioneer社の長距離バスの運転手Peter Chapmanが、マンドラビラ近くで明るい光がバスと並走したと報告した。ユークラの巡査部長は彼の人柄を保証し、UFO Research Australiaはそれを木星と見誤った車のライトによるものとした。2018年、インターネット・ムービー・データベースは『The Nullarbor』という長編映画をプリプロダクション中として掲載した。あらすじは「暗く寂しい道で、平凡な家族が非凡な何かに遭遇する」。俳優John BrumptonがKeith Basterfield役に配され、Basterfieldはその頃には、あの夜には平凡な説明があると最も確信する調査員になっていた。撮影がいつ始まるのかは知らない、とBasterfieldは書いた。

情報源: ナラボー平原沿いのUFO遭遇マンドラビラ続報私はナラボーの宇宙人に立ち向かった1988年のナラボーUFOの謎――解明UFOがバスと並んで飛んだと運転手UFOはおそらく木星UFO映画――『The Nullarbor』

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マンスフィールド上空の緑の光Paul NormanはKnowles家の車を、1973年にオハイオ上空で上へ引き寄せられたと乗員が語った陸軍予備役のヘリコプターと並べた。彼の見方では、これもまた失敗に終わった試みだった。バス海峡上空からの最後の交信Normanは、Frederick Valentichの失踪は、ナラボーで試みられたと彼が考えたものの成功版ではないかと疑った。レベランドの夜誰もいないハイウェイのドライバーたちが光に出会ったもう一つの夜であり、車両への影響を伴う古典的な事例。ケリーの小さな男たち夜通し警察へ逃げ込んだもう一つの家族。調査員たちが、明らかな恐怖と乏しい物的証拠とを天秤にかけねばならなかったもう一つの事例。接近遭遇の分類を読み解く物理的痕跡を残す接近遭遇、すなわち第二種という分類の由来。
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