道の果ての谷
ヘスダーレンはノルウェー中部の山中高くにある細い谷で、古い銅山の町レーロスの北およそ30キロ、ヘシャ川に沿って農場が点在している。1980年代初めには150人ほどが暮らしていたが、ノルウェーのほかの地域の人々はその存在すらほとんど知らなかった。深い雪に閉ざされる長い冬、氷点下30度を下回る寒さ。農場の男たちの多くはキリングダールの銅山で交代勤務につき、道はヘスダールシェーレンと呼ばれる峠を越えていく。四方の山々、フィンスオーホグダ、ヴォールフースシェーレン、ログネフィエレ、スカルヴァンは丸みを帯び、木もなく、がらんとしている。冬の夜、そこに見える光は星だけのはずだった。

情報源: Om fenomenet(現象について)Project Hessdalen 1984: Final Technical Report(Project Hessdalen 1984――最終技術報告書)
光の前の光
Project Hessdalenはのちに、UFOが話題になるはるか以前からこの地で見られていた光の記憶を集めた。1967年8月、エイウンゲン湖畔の小屋にいた2人の少女は「燃えている家のような」光を見て、市の中心の村オーレンまでずっと走って帰った。オーレンのある男性は1967年と1969年に投光器のような光を見た。ある女性は1976年、つぶれた楕円の月のようなものがグレートーダーレンの谷を漂い下っていくのを見守った。1980年12月4日には、Halvard Bakåsが見た光は、双眼鏡越しに「4枚か6枚のガラスがはまった窓のように見えた」。エイウンゲン湖近くの農夫Peder Skogaasは2008年にAftenpostenに、あの辺りの光は戦争のころから知られていて、はじめはドイツ軍のせい、次には逃亡したロシア人捕虜のせいにされていたと語った。
情報源: Observasjoner 1967(1967年の観測)Observasjoner 1976(1976年の観測)Mange UFO-observasjoner i Hessdalen(ヘスダーレンで多数のUFO目撃)Hessdalen X-Files(ヘスダーレンXファイル)
光が来た冬
物語はふつう、1981年12月8日の寒い夜に始まる。Åge MoeとRuth Marry Moeの夫妻が、台所の窓から「燃える火の玉」を見た夜である。これはノルウェー語版Wikipediaなど後年の語りが採る日付で、谷についてのIvar Kvaalの2018年の本をめぐる報道を典拠としている。しかし国営放送NRKは2007年、火の玉を1年後のこととし、Project HessdalenのErling Strandは光が1981年11月末に始まったと書き、同プロジェクトの1984年の報告書は、報告が12月に始まったとしか述べていない。プロジェクトのその月の記録によれば、12月20日の日曜日、フリーのジャーナリストNils Kåre Nesvoldは、明るい緑色の1966年型フォード・コルチナでネスヴォレン近くを走っていたとき、「楕円の月のようなものが白熱電球のように光っている――尾根の下で」と見え、トランシーバーで友人を呼んで目撃させた。同じ晩、Halvard Bakåsはヴォールフースシェーレンの上に光を見て、はじめはスノーモービルだと思った。1月には報告は週に20件にも達し、1982年1月15日、レーロスの新聞Arbeidets Rettが地元で初めてのUFO記事を載せた。14歳のTorfinn Barstadが、ホーダーレンの上空で、数百メートル先に光が空中で止まるのを見たのである。「光は、1メートルの距離から1000ワットの電球をまっすぐのぞきこむほど鋭かった」と彼は語った。「怖くなったことは隠せません。ただ怖いのではなく、ものすごく怖かった」。それは大きな家ほどの大きさで静止し、それから「弾丸のように」丘の向こうへ消えた。
情報源: Observasjoner 1981(1981年の観測)UFO over Hådalen(ホーダーレン上空のUFO)Mystisk observasjon: – Vet ikke hva dette er(謎の観測――「これが何なのかわからない」)Fenomenet Hessdalen(ヘスダーレン現象)Using an “Unknown Mystery” as a Case for Teaching Students ICT(「未知の謎」を学生へのICT教育の題材として用いる)Project Hessdalen 1984: Final Technical Report(Project Hessdalen 1984――最終技術報告書)
古い家のような窓
1984年の技術報告書は、目撃者たちの語る光を3種類にまとめている。白や青の小さく強い閃光。黄色や黄白色の光で、しばしば「家々の屋根のすぐ上、あるいは地面の上にまで」見え、1時間以上静止してから急に飛び去ることがあるもの。そして、互いに一定の距離を保ったいくつかの光で、「たいていは黄色か白の光が2つ、その前に赤がひとつ」あり、何か黒いものに取りつけられているかのようだったもの。報告書は「多くの人が『物体』のことを話した」と記している。形を見た人もいた。尖ったほうを下にした弾丸、サッカーボールのように丸い球、逆さのクリスマスツリー。1982年1月16日土曜日にかけての夜、Åge Moe、Jon Arvid Aspås、Bjarne Lillevoldは最大4つの卵形の物体を見守った。Arbeidets Rettの書き方では、それらには「古い家のようなガラス窓が4つあった」。トロンハイムの民間UFO研究所NIVFOの所長Kolbjørn Stenødegårdは三角測量で、それらを家ほどの大きさで、8~10キロ先にあると割り出した。3人のうちのひとりは新聞に「4つの窓から」光が出ていたと語り、Jon Arvid Aspåsはその絵を描いた。もっとも、物体を見ていない隣人から聞き取ったプロジェクトの記録の注記は、窓というのは記者の言葉のあやだとしている。谷の向こうを見渡す農場のMartin Aspåsは、2月に新聞にこう語った。「とてつもなく速く飛ぶこともあれば、ゆっくり飛ぶこともある。ときには完全に止まって、それからまたものすごい速さで動きだす。ときにはとても低く飛ぶので、谷の向こう側の山肌を背にして見えるほどです」。そのうちいくつかの大きさを彼は7~12メートルと見積もり、「前と後ろに灯りがある」と言った。
情報源: Project Hessdalen 1984: Final Technical Report(Project Hessdalen 1984――最終技術報告書)Mange UFO-observasjoner i Hessdalen(ヘスダーレンで多数のUFO目撃)Folkevandring til Hessdalen for å se UFO(UFOを見にヘスダーレンへ民族大移動)Fjernsynet filmet UFO i Hessdalen(テレビがヘスダーレンでUFOを撮影)Observasjoner 1982(1982年の観測)
峠の群衆
ヘスダーレンは巡礼地になった。卵形の物体が目撃されたあとの月曜の晩、Arbeidets Rettは、アスポースに一度に50台ほどの車が集まり、ヘスダールシェーレンを何百人もの人々が行き来しているのを数えた。1月21日の夜には、郷土防衛隊の4人の巡回隊がスノーモービルとスキーで山に入り、光を探した。NRKのテレビ取材班は2月に4日間撮影し、地元紙の報道によれば、自分たちも光を目にした。ボードーのジャーナリストArne W. Wisthは、「奇妙な脈打つ光」をもつ卵形の物体を撮影した。それは闇のなかから「音もなくすうっと」現れ、彼とNRKの取材班からわずか300~400メートル先で向きを変えて離れていった。「まるでこちらを怖がっているかのようでした」と彼は言った。彼の新聞、ボードーのNordlandspostenは、NASAがそのフィルムの分析を申し出たと報じた。

情報源: Folkevandring til Hessdalen for å se UFO(UFOを見にヘスダーレンへ民族大移動)UFO-observasjon(UFO目撃)Fjernsynet filmet UFO i Hessdalen(テレビがヘスダーレンでUFOを撮影)UFO-filmen skal granskes av NASA(UFOのフィルム、NASAが調べる)
空軍が見に来る
1982年3月、話はオスロに届いた。南ノルウェー航空司令部の司令官Eyvind Schibbye少将は、2人の将校を山へ送り、トロンハイムの上のグロカレンにあるレーダー基地との直通回線を設けた。ヴァールネス航空基地のLeif Voldseth大尉がノルウェーの通信社NTBに語ったところでは、ある夜、観測者たちは5つの飛行物体を見た。グロカレンはそのうち4つが航空機であることをすぐに確認できたが、「5つ目は識別できなかった」。Schibbyeによれば、軍が公式の観測者を派遣するほどUFOの報告を真剣に受けとめたのは、これが初めてだった。「しかし今回は、非常に多くの分別ある人々が空に奇妙な現象を見ています。当然ながら、まじめな人々の観察力には、それを真剣に受けとめるだけの敬意を払わねばなりません」。
情報源: Forsvaret sender observatører til Hessdalen(国防軍、ヘスダーレンに観測者を派遣)
小屋のそばのクリスマスツリー
もっとも奇妙な証言は、Lillevold家の兄弟、Ole、Lars、Bjarneから寄せられた。Arbeidets Rettは彼らを「おそらくノルウェーでいちばん多くUFOを見た一家」と呼んだ。1984年に65歳だったOleは生涯独身で、オーストラリアからヴェモルクまで38年を建設現場で過ごしてきた人物で、記録された目撃は16回にのぼった。光を見るには「ヘスダーレン首(Hessdals-hals)」が要る、と彼は助言した。「いつも地面ばかり見つめていちゃいけない。視線を地平線の上に漂わせるんです」。1982年9月24日の夜、Bjarneがキリングダール鉱山での勤務を終えて車で帰る途中、彼と同僚はヘスダーレンの山の上に光る物体を見た。彼はモペッドでヘスダールシェーレンまで上り、それが1軒の小屋のそばに立っているのを見つけた。「はじめは小屋が燃えているのだと思った」と彼はプロジェクトの記録に書いている。「それはてっぺんを下にしたクリスマスツリーのように見え、物体は隣の小屋よりも大きかった」。前のほうでは大きな赤い光が点滅していた。物体は地面から4メートルほどのところに浮かび、光があまりに強烈で、長くは見ていられなかった。「それはヨーヨーのように上がったり下がったりして、地面のほうへ下りてくるたびに、消えるか、透明になるかのようだった。そのとき、それを透かしてトウヒが1本見えた」。平らな上面には羊毛の層のようなものが載っていて、熱を発しているように見えた。「誰かと一緒だったら、物体のところまで歩いていったかもしれない。でもひとりだったので、そうする勇気はなかった」。その秋の記録にはほかにも、バスの運転手が朝7時40分に見た旅客機ほどの大きさの灰色の金属的な葉巻や、ガラスのドームをもつ「ほとんど食パンのような」物体、そして風にさらわれた燃える灰のかけらのように動き、湿った天気の日の高圧線のようなシューという音を立てた光が記されている。
情報源: Observasjoner 1982(1982年の観測)Over kaffekoppen: Ole Lillevold(コーヒーを飲みながら――Ole Lillevold)
嘲笑と占い師
誰もが魅了されたわけではない。市自身がまとめた現象の歴史によれば、ヘスダーレンの人々は田舎の愚か者扱いされ、密造酒の大酒から近親婚による幻覚まで、ありとあらゆることを言われた。Ruth Marry Moeは、オーレンの協同組合の店へ買い物に行くことさえ苦痛になったと振り返る。隣の農場の名がアスポースだったので、人々はこれを「アスポースとモーの新しいおとぎ話」と言ったのだ。村人たちは公式の調査を求める署名を集めてホルトーレンの地方警察署長に届けたが、署長は、UFOは何の罪も犯していないので何もできないと答えた。1982年3月、オーレンで国内の主要な民間UFO団体UFO-Norgeが開いた満員の公開集会で、調査員Leif Havikは嘲笑にこう応じた。「ヘスダーレンの100人もの人々が精神に異常をきたしているとは、私には信じられません」。騒ぎは大きくなった。地元の労働党系の女性団体は峠で売店を営み、その利益から1000クローネをがん協会に寄付した。1982年のクリスマスの4日目、スウェーデンの霊能者が、謎はその夜に解けると予言し、群衆が谷へ押し寄せた。新聞Østfoldpostenの報道によれば、レーロスのアマチュア操縦士が小型機に余分の灯りをつけ、危険なほどの低空で谷を飛び抜けた。その夜を撮影しにやってきたエストフォルのアマチュア映像作家Karl-Erik Olsenは、これを「5羽のめんどりになったUFO」の話と呼んだ。

情報源: Om fenomenet(現象について)UFO-møtet i Ålen(オーレンのUFO集会)UFO-kiosken(UFO売店)UFO’n som ble til fem høns(5羽のめんどりになったUFO)
Project Hessdalen
Project Hessdalenは1983年6月3日、民間団体UFO-NorgeとUFO-Sverigeから生まれた。Leif Havik、Odd-Gunnar Røed、Håkan Ekstrand、Jan Fjellander、そして技術者Erling Strandからなる作業委員会は3,300世帯に報告用紙を送り、顧問委員会にはアメリカの天文学者J. Allen Hynek、アースライト(大地の光)について書いていたPaul Devereux、J. A. Tellefsen教授が名を連ねた。ノルウェー国防研究所とオスロ大学、ベルゲン大学が協力し、機材を貸し出した。1984年1月21日から2月26日まで、ボランティアたちはアスポース農場の上の尾根アスポースシェーレンに置いたキャンピングトレーラーと、フィンスオーホグダ、フィエルベックホグダ、ヘッグセットの観測所で暮らした。Havikの言う「氷点下28度、そして雪」のなかである。彼らは光をスペクトルに分ける回折格子をつけたカメラ、地震計、磁力計、スペクトラムアナライザー、ガイガーカウンター3台、赤外線暗視装置、3センチ波のAtlasレーダー、そして小型のヘリウムネオン・レーザーを持ちこんだ。5週間で188件の光の報告を受けた。大半は航空機、星、車だった。53件が「ヘスダーレン現象」だと、彼らは結論した。
情報源: Project Hessdalen 1984: Final Technical Report(Project Hessdalen 1984――最終技術報告書)Project Hessdalen’s first weeks(Project Hessdalenの最初の数週間)Project Hessdalen
レーダーのエコー
レーダーは36のエコーを記録したが、そのうち光としても見えていたとみられるのは3つだけだった。ある夜、観測者たちにずっと見えていた光は、レーダーには1回おきの走査でしか映らなかった。報告書は「まるでレーダー波に『反応』しているかのように」と首をひねっている。ある強いエコーの写真を見せられた国防研究所のレーダー専門家は、それが固体でないのなら「ガスが局所的に強く電離していなければならない」と言った。1月27日午後10時58分、Jon AspåsとRuth Marry Moeは、明るい光がフィンスオーホグダの上を北西へ走るのを見た。そのときレーダー画面についていたHavikは、およそ20キロ離れた2つのエコーを2.4秒の間隔で見ていた。秒速8,000~9,000メートルの速さである。
情報源: Project Hessdalen 1984: Final Technical Report(Project Hessdalen 1984――最終技術報告書)
レーザーに応えた光
1984年2月12日日曜日の午後7時35分、一定のリズムで点滅する光が、フィンスオーホグダを過ぎてゆっくり北へ動いていった。Kurt Perssonは双眼鏡でそれを見ながら、見たままを「フラッシュ……フラッシュ……フラッシュ」と声に出し、彼の視界の外にいたStrandがレーザーを向けた。Strandの記述によれば、ビームが光に向いた瞬間、光は規則正しい二重の点滅「フラッシュ・フラッシュ……………フラッシュ・フラッシュ」に変わり、レーザーを下ろすと単一の点滅に戻った。光が見えなくなるまでに、彼らはこれを4回繰り返した。8時41分には、2つ目の光で同じことが5回中4回起きた。「レーザー試験の結果は非常に驚くべきものだ」とStrandは書いた。「私個人は、この試験は単なる偶然にすぎないと思っていた。だが、我々は9回中8回という結果も得たのだ」。
情報源: Project Hessdalen 1984: Final Technical Report(Project Hessdalen 1984――最終技術報告書)
雪のなかの赤い点
8日後、レーザーがオスロに持ち出されていたとき、ひとつの赤い光の点が、キャンピングトレーラーの外の雪の上でLeif Havikの足もとを回り、消えた。それを一緒に見た農夫Åge Moeは、2月25日にレーザーを見せられると、「まさにこれを見たんだ! ただ、もう少し弱かったが」と言った。谷でレーザーを持っている者は誰も知られていなかった。「手をかざしてさえいれば」とHavikは言った。「どこから来たのか突きとめられたのに」。報告書の結論は控えめだった。「我々はこの現象が何なのかを突きとめられなかった……しかし、この現象が、それが何であれ、測定できることはわかっている」。
情報源: Project Hessdalen 1984: Final Technical Report(Project Hessdalen 1984――最終技術報告書)
テントのなかのHynek
波はすでに引きはじめていた。1985年1月の2度目の観測では、良好な観測は1件しか得られなかった。1948年からプロジェクト・ブルーブックの終わりまでアメリカ空軍のUFO科学顧問を務めた天文学者J. Allen Hynekは、このとき74歳で、その月に自費でヘスダーレンを訪れ、谷でなされた観測を「他に類を見ない」と呼んだ。「そしてもちろん、私がここにいたあいだに光そのものが現れたのです」と彼はArbeidets Rettに語った。「自分で見られなかったのは、まったくの不運でした。光が現れたとき、私はテントで腹ごしらえをしていたのです」。その月の初めには、NIVFOが独自の最終報告書を発表していた。調査員Jan S. Kroghは、ヘスダーレンの人々に、集団として、光が宇宙船以外の何かだと信じさせるのはいまやほとんど不可能だと書きつつ、「この地域で報告されたすべての現象は、我々の知る条件によって説明できる」と結論した。Havikは、それを「大いに眉に唾をつけて」受けとめると言った。NIVFOは谷にほとんど来たこともなく、光をろくに見てもいない、というのである。1984年を過ぎると目撃は減っていき、最盛期の週20件から、1990年代には年に20~30件になった。市のまとめた歴史は、その減少の一部は沈黙によるものだったと示唆している。1990年のNRKのラジオ・ドキュメンタリーで、村人たちは、もうこの話はしないと皆で決めたのだと語った。
情報源: Project Hessdalen 1984: Final Technical Report(Project Hessdalen 1984――最終技術報告書)Hynek i Hessdalen(ヘスダーレンのHynek)NIVFO: alle fenomener kan forklares(NIVFO――すべての現象は説明できる)Om fenomenet(現象について)Project Hessdalen
ブルーボックスとイタリア人たち
1993年、村人たちはStrandに次はどうするのかと尋ね、1994年3月、谷は8か国27人の科学者による国際ワークショップを迎えた。1998年8月7日、エストフォル大学カレッジ(Østfold University College)で教えるようになっていたStrandと学生たちは、ログネフィエレにあるBjarne LillevoldとHallfrid Lillevoldの土地に、青いコンテナに収めた自動計測ステーションを設置した。まもなく「ブルーボックス(Blue Box)」と呼ばれるようになったそのカメラは、フィンスオーホグダを見張っている。メディチーナの電波天文観測所のイタリアの物理学者たちが、Strandの同僚Bjørn Gitle HaugeとEMBLAという共同研究を組み、2000年、2001年、2002年に現地調査を行った。そのひとり、天体物理学者Massimo Teodoraniは2004年、Journal of Scientific Explorationに、それまでで最も大胆な科学的主張を発表した。彼によれば、光は最大19キロワットを放射し、自己調節的に膨らんだり縮んだりする小さな球の集まりだった。大きな白い球が小さな緑の球を放出することがあり、その過程は「細胞の増殖を思わせる」。そして「どの場合も、光の現象はスイッチを切ったかのように突然消える」。「固体と矛盾しない」特徴が「強く疑われる」とされ、ヴォールフースでの近接目撃の現場付近の土壌からは、通常の4~9に対して毎時20マイクロラドを示す粉末と、直径20ミクロンの完全な球形の鉄の粒子が見つかった。
情報源: Project HessdalenOm fenomenet(現象について)A Long-Term Scientific Survey of the Hessdalen Phenomenon(ヘスダーレン現象の長期科学調査)
ヘッドライトとスカンジウム
反発は内側から来た。2002年8月6日と7日の夜、イタリア自身のヘスダーレン委員会のアマチュア、Matteo Leoneは、アスポースシェーレンでEMBLAのチームの横に立ち、彼らの点滅する光がふたたび現れると、小型の屈折望遠鏡でそれを見て、「たやすく、一対の車のヘッドライトだと特定した」。約2.2キロ先、ヴォールフースシェーレンの丘を回る私道を走る車で、木々の陰を通るたびに点滅していたのである。それは、Teodoraniが9キロ先にあるという前提で、出力をはじめ100キロワット、のちに19キロワットと見積もったのと同じ光だった。Teodoraniはこの反論とその著者たちを一蹴し、確執は3本の論文と応答にわたって続いた。Haugeは別の道を選んだ。2006年9月の学生向けの科学キャンプで、生徒たちは回折格子越しに光を撮影し、2007年6月、Haugeは、そのスペクトルに窒素、酸素、鉄、ケイ素、チタン、そして「ノルウェーの希少金属」スカンジウムが表れていると示唆した。スカンジウムは「着火の仕組み」かもしれないという。谷の塵が発火し、燃料が燃えつきるまで宙に浮かんでいるのだ、と彼は提唱した。トロンハイムの新聞Adresseavisenは、UFOの謎は解けたと報じた。NRKは、直径30メートルまでの、「言い換えれば家ほどの大きさ」の光について語るHaugeの言葉と、「それを突きとめられれば、未来のエネルギー需要を解決したことになるかもしれない」という期待を伝えた。研究者たちはのちに、自分たちのデータは矛盾していたと述べている。
情報源: A Rebuttal of the EMBLA 2002 Report on the Optical Survey in Hessdalen(ヘスダーレンの光学調査に関するEMBLA 2002報告書への反論)A Long-Term Scientific Survey of the Hessdalen Phenomenon(ヘスダーレン現象の長期科学調査)Optical Spectrum Analysis of the Hessdalen Phenomenon(ヘスダーレン現象の光学スペクトル分析)Fenomenet Hessdalen(ヘスダーレン現象)Om fenomenet(現象について)
谷ほどの大きさの電池
2014年、イタリアの技術者Jader Monariは、谷全体が電池なのだと唱えた。片方の斜面に亜鉛と鉄の鉱石、もう片方に銅があり、そのあいだを酸性化したヘシャ川が流れている。彼と同僚が川の両岸に石を置くと、電球をともせるだけの電流が取り出せた。ノルウェーの物理学者Bjørn Samsetは感心しなかった。「説得力のある計算は見たことがない」と彼は言い、「冷たいプラズマというのは、私に言わせれば自己矛盾で、熱い氷のようなものだ」と述べた。2024年の地球物理学調査は、谷の下に6×12キロの楕円を描く導電性の硫化物帯を見いだし、著者たちはそれが光にエネルギーを供給しうると書いた。

情報源: Little Valley – a Giant Battery?(小さな谷は巨大な電池か?)Contribution of VLF Electromagnetic Survey to the Investigation of Hessdalen Lights (Norway)(ヘスダーレンの光〔ノルウェー〕の調査へのVLF電磁探査の寄与)
見張りは続く
光が完全に去ることはなかった。2016年9月、エストフォル大学カレッジのチームが谷で野営し、毎晩何かを目にした。基地のリーダーChrister Olofssonは、最初の光をこう語った。「光は大きな球のようで、真っ黄色でした。突然、何かがそれをつかんでねじったかのようになって、光はオレンジを経て強い赤に変わりました。4、5秒続いてから、それは自らの内側へ崩れて消えたのです」。Haugeは、説明は地中にあると考えていると述べた。2002年以来、生徒や学生たちは無線機やカメラを携えてヘスダーレンで実習の週を過ごしており、谷はいまや神秘の地として観光客に自らを売りこんでいる。2025年のクリスマス当日の午後2時39分、Project Hessdalenの固定カメラのひとつが、かすかな光が1分以上かけて丘の斜面を上り、消えていくのをとらえた。チームは明らかな説明をひとつずつ検討した。ドローンなら航法灯をつけているはずで、そもそもこうした光はドローンが存在する前から見られていた。光が動いた場所には道路がなく、光は木々の梢の上を通っていた。この辺りのスノーモービルはもっとゆっくり動き、地面に沿って進む。数日後、カメラは正体のわかっているスノーモービルを記録し、プロジェクトはこの2つの映像を使って、次の光のための警報システムを作ろうとしている。「今のところ未確認です」とプロジェクトの責任者Fred PallesenはTV 2に語った。「自然な説明を探していますが、もっとも興味深い観測は、説明のつかないものなのです」。
情報源: Nå har også forskerne sett lyset i Hessdalen(いまや研究者たちもヘスダーレンの光を見た)Using an “Unknown Mystery” as a Case for Teaching Students ICT(「未知の謎」を学生へのICT教育の題材として用いる)Mystisk observasjon: – Vet ikke hva dette er(謎の観測――「これが何なのかわからない」)Om fenomenet(現象について)
残されているもの
これほど多くの記録を残した光の現象は少ない。1985年1月のProject Hessdalenの最終技術報告書は、計器の記録、レーダー写真、レーザー試験を含めて全文がオンラインで読める。プロジェクトのアーカイブは、1967年以降の目撃報告を、目撃者自身のノルウェー語で英訳とともに保管している。レーロスの新聞Arbeidets Rettは1982年1月から週ごとにこの波を報じており、その紙面は、空軍の観測者についての1982年3月のNTBの記事とともに、ノルウェー国立図書館のデジタル化された新聞で読むことができる。Arne Wisthの1983年の本UFO-mysteriet i Hessdalen(ヘスダーレンのUFOの謎)、Jan S. Kroghによる1985年1月のNIVFOの報告書、HavikとStrandの1987年の本は国立図書館にあるが、自由にオンラインで読めるわけではない。WisthとNRKの1982年のフィルム、そして村人やプロジェクトが撮った写真は、本やテレビで紹介されてきたが、自由利用のライセンスはない。自動ステーションは1998年から画像と映像を記録しつづけており、科学文献は、Teodoraniの2004年の調査から、ブラジルの物理学者Gerson PaivaとCarlton Taftによるダストプラズマのモデルを経て、2024年の地球物理学調査にまで及んでいる。
情報源: Project Hessdalen 1984: Final Technical Report(Project Hessdalen 1984――最終技術報告書)Observasjoner 1981(1981年の観測)Observasjoner 1982(1982年の観測)Mange UFO-observasjoner i Hessdalen(ヘスダーレンで多数のUFO目撃)Forsvaret sender observatører til Hessdalen(国防軍、ヘスダーレンに観測者を派遣)A Long-Term Scientific Survey of the Hessdalen Phenomenon(ヘスダーレン現象の長期科学調査)Contribution of VLF Electromagnetic Survey to the Investigation of Hessdalen Lights (Norway)(ヘスダーレンの光〔ノルウェー〕の調査へのVLF電磁探査の寄与)
計器が示したもの
1984年の観測では36のレーダーエコーが記録され、そのうち3つが目に見える光と対応した。あるレーダー航跡は秒速およそ8,500メートルの速さを示し、ある光はレーダーに1回おきの走査でしか映らなかった。スペクトラムアナライザーは数日にわたって約80MHz間隔のスパイクを記録し、強い光の報告10件のうち4件は磁力計の脈動とほぼ正確に重なったが、報告書はこれが偶然かもしれないと認めている。地震計、ガイガーカウンター、そして2回しか使われず、しかも遠距離だった赤外線暗視装置は、何も記録しなかった。回折格子の写真は「証拠としては使えない」と報告書は警告している。もっとも引用される成果であるレーザー試験は、ひと晩の2回の試行にもとづくもので、ひとりが点滅を読み上げ、もうひとりがビームを向けていた。統制された追試は発表されていない。プロジェクトの後年のまとめは、1984年の報告書よりも強い調子で物事を記憶しており、「固体に特有の」スペクトルや、光の到来とともに起きた停電にも触れている。
情報源: Project Hessdalen 1984: Final Technical Report(Project Hessdalen 1984――最終技術報告書)Project HessdalenProject Hessdalen
説明と反論
懐疑派は航空機、車、大気の屈折を挙げてきた。SkeptoidのBrian Dunningは、アースライト研究者Marsha Adamsの2006年の論文に依拠して、2011年、トルガの無線標識から谷をまっすぐ上って自動ステーションのほうへ延びる航空路を指摘した。Matteo Leoneは、有名なEMBLAの光の少なくともひとつを、ヴォールフースシェーレンを走る車のヘッドライトと特定した。1985年1月のNIVFOの報告書は、報告されたすべての現象に既知の原因があると結論し、ほかに、光のいくつかをレーロス線の列車のせいにする者もいた。研究者たち自身も自らの誤りを見つけてきた。2008年の科学キャンプでは、生徒の「UFO」が、双眼鏡で見ると車だったと判明した。純粋に通常の説明に対しては、目に見える光をともなわないレーダー反射、谷の内側から見た屋根や畑の上の低い光、1982年3月にグロカレンのレーダーが航空機と識別できなかった5つ目の物体、そして何十年分ものカメラの記録が立ちはだかる。研究者たちが提唱してきた自然の説明、すなわち燃える塵、ラドンの崩壊によるダストプラズマ、谷ほどの大きさの電池、硫化物の鉱体は、いずれも仮説にとどまっている。1時間も浮かんでいる光る球を生みだすことを示せたものは、ひとつもない。
情報源: The Hessdalen Lights(ヘスダーレンの光)A Rebuttal of the EMBLA 2002 Report on the Optical Survey in Hessdalen(ヘスダーレンの光学調査に関するEMBLA 2002報告書への反論)NIVFO: alle fenomener kan forklares(NIVFO――すべての現象は説明できる)Om fenomenet(現象について)Hessdalen X-Files(ヘスダーレンXファイル)Mystisk observasjon: – Vet ikke hva dette er(謎の観測――「これが何なのかわからない」)Forsvaret sender observatører til Hessdalen(国防軍、ヘスダーレンに観測者を派遣)Contribution of VLF Electromagnetic Survey to the Investigation of Hessdalen Lights (Norway)(ヘスダーレンの光〔ノルウェー〕の調査へのVLF電磁探査の寄与)Little Valley – a Giant Battery?(小さな谷は巨大な電池か?)
分類と証拠についての注記
本アーカイブはヘスダーレンを集団目撃として扱う。何百人もの人々が数度の冬にわたって同じ谷の上に光を報告し、その多くが繰り返し報告したからである。接近遭遇の種別は割り当てない。報告の大半は遠くの光について述べており、Bjarne Lillevoldのような数少ない近距離の証言は、単独の目撃者によるものだからである。文書が立証しているのは、1981年12月ごろから光が大量に報告されたこと、ノルウェー空軍が1982年3月に観測者を送り、ひと晩に見られた5つの物体のうちひとつが航空機と識別できなかったこと、そしてボランティアのプロジェクトが1984年2月にレーダーエコーと一連のレーザーへの反応を記録したことである。光が何であるかは立証していない。そのいくつかは確かに航空機や車だった。
情報源: Project Hessdalen 1984: Final Technical Report(Project Hessdalen 1984――最終技術報告書)Forsvaret sender observatører til Hessdalen(国防軍、ヘスダーレンに観測者を派遣)Observasjoner 1982(1982年の観測)
- 1967年8月
エイウンゲン湖畔の小屋にいた2人の少女が「燃えている家のような」光を見て、オーレンまで走って帰る。のちにProject Hessdalenが記録した最も早い報告のひとつである。
- 1981年12月8日
後年の語りがÅge MoeとRuth Marry Moeの「燃える火の玉」に与える日付。NRKはこれを1982年12月としている。
- 1981年12月20日
ジャーナリストNils Kåre Nesvoldがネスヴォレン近くで「楕円の月」のような光を見る。Halvard Bakåsもヴォールフースシェーレンの上に光を見る。
- 1982年1月11日
14歳のTorfinn Barstadが、1000ワットの電球ほどに明るい光がホーダーレンの上空に静止するのを見る。
- 1982年1月16日
Åge Moe、Jon Arvid Aspås、Bjarne Lillevoldが、「窓」のある卵形の物体を最大4つ見守る。
- 1982年1月18日
一度に50台ほどの車と何百人もの人々が峠に集まり、空を見張る。
- 1982年1月21日
郷土防衛隊の巡回隊が、光を見張って山でひと晩を過ごす。
- 1982年2月
NRKの取材班とArne W. Wisthが、脈打つ卵形の光を撮影する。
- 1982年3月
空軍が2人の将校を送り、観測者をグロカレンのレーダーと結ぶ。ある夜見られた5つの物体のうち、ひとつは航空機と識別できない。
- 1982年9月24日
Bjarne Lillevoldが、ヘスダールシェーレンのそばで、小屋よりも大きな逆さの「クリスマスツリー」が上下に揺れるのを見る。
- 1982年12月28日
スウェーデンの霊能者の予言が群衆を集める。レーロスの操縦士が余分の灯りをつけて谷を低空で飛ぶ。
- 1983年6月3日
UFO-NorgeとUFO-SverigeがProject Hessdalenを設立する。
- 1984年1月21日
プロジェクトの現地調査がアスポースシェーレンで始まる。
- 1984年1月27日
2人の目撃者がフィンスオーホグダを横切る光を見守るなか、レーダーがその速さを秒速8,000~9,000メートルと計測する。
- 1984年2月12日
点滅する光にレーザーを向けると二重の点滅に変わる。2つの光で、9回中8回。
- 1984年2月20日
レーザーがオスロにあるあいだに、赤い光の点がキャンピングトレーラーの外でLeif Havikの足もとを回る。
- 1985年1月
NIVFOはすべての報告が説明できるとし、Strandの最終報告書は現象が「測定できる」とする。
- 1985年1月25日
J. Allen Hynekが谷に到着し、目撃を他に類を見ないと評するが、テントで食事をしていて光を見逃す。
- 1994年3月
ヘスダーレンの光をめぐる初の国際ワークショップが谷で開かれる。
- 1998年8月7日
自動計測ステーション「ブルーボックス」が、ログネフィエレで記録を始める。
- 2002年8月
Matteo Leoneが望遠鏡で、EMBLAの光を車のヘッドライトと特定する。
- 2004年
Massimo Teodoraniが、小さな球を放出する最大19キロワットの光を報告する。
- 2007年7月
Bjørn Gitle Haugeのスペクトルが、スカンジウムを含む燃える塵を示唆する。報道は謎が解けたと伝える。
- 2014年5月
Jader Monariの「巨大電池」仮説。ノルウェーの物理学者が、冷たいプラズマは「熱い氷のようなもの」だと言う。
- 2016年9月
エストフォルの研究者たちが毎晩光を見る。そのひとつは黄色から赤へねじれ、崩れて消える。
- 2024年
地球物理学調査が、谷の下の導電性の硫化物帯を地図に描く。
- 2025年12月25日
ステーションのカメラが、午後2時39分、丘の斜面を上っていく正体不明の光を記録する。
情報源とインタビュー
情報源は原語のままです。タイトルと説明は翻訳されています。
Project Hessdalen 1984: Final Technical Report(Project Hessdalen 1984――最終技術報告書)Erling Strand、Project Hessdalen(UFO-NorgeとUFO-Sverige)、1985年1月5日署名 · 初出はTidsskriftet UFO(ベルゲン) · Project HessdalenアーカイブObservasjoner 1981(1981年の観測)Project Hessdalenによる1981年の目撃報告の記録。目撃者自身のノルウェー語による · Project HessdalenアーカイブObservasjoner 1982(1982年の観測)Project Hessdalenによる1982年の目撃報告の記録。9月24日のBjarne Lillevoldの証言を含む · Project HessdalenアーカイブObservasjoner 1967(1967年の観測)Project Hessdalenによる、この地域のそれ以前の報告の記録。1967年8月、エイウンゲン湖の2人の少女に始まる · Project HessdalenアーカイブUFO over Hådalen(ホーダーレン上空のUFO)Arbeidets Rett(レーロス)、1982年1月15日 · 14歳のTorfinn Barstadの1月11日の目撃について · Nasjonalbiblioteket(ノルウェー国立図書館)Mange UFO-observasjoner i Hessdalen(ヘスダーレンで多数のUFO目撃)Nils Kåre Nesvold · Arbeidets Rett(レーロス)、1982年1月18日 · Nasjonalbiblioteket(ノルウェー国立図書館)Folkevandring til Hessdalen for å se UFO(UFOを見にヘスダーレンへ民族大移動)Nils Kåre Nesvold · Arbeidets Rett(レーロス)、1982年1月20日 · NIVFOのKolbjørn Stenødegård、およびMoe、Aspås、Lillevoldの目撃について · Nasjonalbiblioteket(ノルウェー国立図書館)Observasjoner 1976(1976年の観測)Project Hessdalenによる1976年の報告の記録。グレートーダーレンでのInger Anne Krogstadの目撃を含む · Project HessdalenアーカイブUFO-observasjon(UFO目撃)Arbeidets Rett(レーロス)、1982年1月22日 · ヘスダーレンの山での郷土防衛隊の巡回について · Nasjonalbiblioteket(ノルウェー国立図書館)Fjernsynet filmet UFO i Hessdalen(テレビがヘスダーレンでUFOを撮影)Arbeidets Rett(レーロス)、1982年2月22日 · Martin Aspåsの談話付き · Nasjonalbiblioteket(ノルウェー国立図書館)UFO-filmen skal granskes av NASA(UFOのフィルム、NASAが調べる)Knut Hoff · Nordlandsposten(ボードー)、1982年3月8日 · Arne W. Wisthのフィルムについて · Nasjonalbiblioteket(ノルウェー国立図書館)Forsvaret sender observatører til Hessdalen(国防軍、ヘスダーレンに観測者を派遣)NTBの配信記事。Laagendalsposten、Nordlandsposten、Romsdals Budstikkeなどに掲載、1982年3月24日 · Nasjonalbiblioteket(ノルウェー国立図書館)UFO-møtet i Ålen(オーレンのUFO集会)Arbeidets Rett(レーロス)、1982年3月29日 · Leif Havikの登壇したUFO-Norgeの公開集会について · Nasjonalbiblioteket(ノルウェー国立図書館)UFO-kiosken(UFO売店)Arbeidets Rett(レーロス)、1983年2月7日 · Hessdalen Arbeiderkvinneforening(ヘスダーレン労働女性協会)がヘスダールシェーレンで営んだ売店について · Nasjonalbiblioteket(ノルウェー国立図書館)UFO’n som ble til fem høns(5羽のめんどりになったUFO)Arbeidets Rett(レーロス)、1983年1月12日 · 謎が解けるはずだった夜について · Nasjonalbiblioteket(ノルウェー国立図書館)Project Hessdalen’s first weeks(Project Hessdalenの最初の数週間)Arbeidets Rett(レーロス)、1984年2月10日 · Leif Havikの談話付き · Nasjonalbiblioteket(ノルウェー国立図書館)Over kaffekoppen: Ole Lillevold(コーヒーを飲みながら――Ole Lillevold)Arbeidets Rett(レーロス)、1984年2月13日 · Nasjonalbiblioteket(ノルウェー国立図書館)NIVFO: alle fenomener kan forklares(NIVFO――すべての現象は説明できる)Arbeidets Rett(レーロス)、1985年1月9日 · Jan S. KroghのNIVFO報告書とLeif Havikの反論について · Nasjonalbiblioteket(ノルウェー国立図書館)Hynek i Hessdalen(ヘスダーレンのHynek)Arbeidets Rett(レーロス)、1985年1月30日 · J. Allen Hynekの訪問と1984年の報告書について · Nasjonalbiblioteket(ノルウェー国立図書館)Om fenomenet(現象について)Hessdalsfenomenet、現象とその歴史についてのホルトーレン市のサイトProject HessdalenErling Strand、2000年の記事、2003年更新 · Project HessdalenアーカイブProject HessdalenErling Strand、エストフォル大学カレッジ · 2002年4月 · Project HessdalenアーカイブFenomenet Hessdalen(ヘスダーレン現象)Karl Hans Johansen · NRK、2007年7月16日A Long-Term Scientific Survey of the Hessdalen Phenomenon(ヘスダーレン現象の長期科学調査)Massimo Teodorani · Journal of Scientific Exploration第18巻第2号(2004年)、217~251ページ · Project HessdalenアーカイブA Rebuttal of the EMBLA 2002 Report on the Optical Survey in Hessdalen(ヘスダーレンの光学調査に関するEMBLA 2002報告書への反論)Matteo Leone · Comitato Italiano per il Progetto Hessdalen(Project Hessdalenイタリア委員会)、2003年 · Internet Archiveの保存版Optical Spectrum Analysis of the Hessdalen Phenomenon(ヘスダーレン現象の光学スペクトル分析)Bjørn Gitle Hauge · エストフォル大学カレッジ、予備報告書、2007年6月Using an “Unknown Mystery” as a Case for Teaching Students ICT(「未知の謎」を学生へのICT教育の題材として用いる)Erling P. Strand、エストフォル大学カレッジ、2005年ごろ · 2002年からのヘスダーレン・サイエンスキャンプについて · Project HessdalenアーカイブHessdalen X-Files(ヘスダーレンXファイル)Ingrid Synnøve Torp · Aftenposten A-magasinet(オスロ)、2008年9月27日Nå har også forskerne sett lyset i Hessdalen(いまや研究者たちもヘスダーレンの光を見た)NRK Trøndelag、2016年9月15日Little Valley – a Giant Battery?(小さな谷は巨大な電池か?)Arnfinn Christensen · ScienceNorway(forskning.no)、2014年5月13日Contribution of VLF Electromagnetic Survey to the Investigation of Hessdalen Lights (Norway)(ヘスダーレンの光〔ノルウェー〕の調査へのVLF電磁探査の寄与)G. N. Vargemezis、J. Zlotnicki、B. G. Hauge、A.-L. Kjøniksen、E. P. Strand · Journal of Applied Geophysics第226巻(2024年)、105398The Hessdalen Lights(ヘスダーレンの光)Brian Dunning · Skeptoid、第270回、2011年8月9日Mystisk observasjon: – Vet ikke hva dette er(謎の観測――「これが何なのかわからない」)Leslie Tangen · TV 2、2026年1月13日誤りに気づいたり、もっと良い情報源を知っていたりしたら、hello@uap.fun まで知らせてほしい。
関連ファイル
コラレスを狩った光何か月にもわたって光に包囲された、もうひとつの辺境の共同体。そしてここでも、空軍が人を送って光を見張らせた。ベルギーUFOウェーブ同じ十年の終わりにヨーロッパで起きたウェーブ。編隊を組む光、レーダー探知、そして報告を真剣に受けとめた空軍。シェルムイェルヴ湖のロケットスカンジナビアの空の、より古い謎。スウェーデン軍がゴーストロケットの報告を何千件も調査した。新聞輸送機に並んだ光夜に撮影された光、目に見えたものと一致しないレーダーエコー、そしてイカ釣り漁船や惑星をめぐる長い論争。ラインのfoo fighters観測者と並んで飛び、彼らに応えるかのように見えた光の球。ヘスダーレンの40年前のことである。この事件について語る
ほかの読者とメモを突き合わせよう。目撃者の細部、情報源、そしていまだ辻褄の合わない部分について。フォーラムは英語です。
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