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事件ファイル / 044 — 1965

デセプション島上空の光

南極の冬の闇のなか、水没した火山に並ぶ三つの対立する基地で、水兵、空軍兵、気象観測員たちは、色のついた光がデセプション島の上に浮かび、すばやく動き、逆戻りするのを見守った。アルゼンチン海軍は固体のようなレンズ形の飛行物体を発表し、チリ空軍は10枚のカラースライドについて語った。スライドは一度も表に出ず、彼らが何を見たのかをめぐる論争も終わることはなかった。

錆びた赤色の縞模様をもつ二つの火山性の崖のあいだの狭い海峡を写した写真。その先には穏やかな青い湾が開け、右手に大きな白い氷山、遠くの岸には淡い空の下に雪をかぶった尾根が見える。
1965
ネプチューンズ・ベローズ。デセプション島の水没したカルデラ、フォスター港へ通じる火口壁の狭い切れ目で、2016年1月撮影。1965年の三つの基地は、この先の湾の岸辺に建っていた。写真:Godot13、CC BY-SA 4.0、Wikimedia Commons経由。

水没した火山に三つの旗

デセプション島は、火口に海が流れ込んだ火山だ。直径およそ15キロの灰と氷の環がフォスター港という湾を抱き、そこへ入る道は、ネプチューンズ・ベローズ(ネプチューンのふいご)と呼ばれる外輪の切れ目ひとつしかない。1965年、南極のこの一角の領有をそろって主張していた三つの国が、その岸辺に基地を置いていた。アルゼンチン海軍のDestacamento Naval Decepción(デセプション海軍分遣隊)、ペンデュラム湾にあるチリ空軍のBase Presidente Pedro Aguirre Cerda(プレシデンテ・ペドロ・アギレ・セルダ基地)、そしてホエーラーズ湾の古い捕鯨基地に置かれたイギリス南極観測局(British Antarctic Survey)のBase Bである。三つの基地は湾岸に、一辺およそ7キロのいびつな三角形をなして並んでいた。その12年前には、イギリス海兵隊が上陸し、イギリス基地のすぐ脇に建てられたばかりのアルゼンチンとチリの小屋を焼き払っている。いまや三つの駐屯部隊は無線でつながる隣人であり、ときおり互いの基地を訪ねる客でもあった。南半球の冬、湾は固く凍りついた。アルゼンチンの指揮官の報告によれば、昼の明るさは午前10時20分ごろから午後3時30分までで、「そのあとに16時間の闇が続いた」。

濃い青の海に浮かぶ馬蹄形の島の衛星画像。白い氷河の筋が走る茶色の火山灰の環が大きな丸い湾を囲み、右下の狭い切れ目で外海に開いている。
2018年3月、Landsat 8がとらえたデセプション島。カルデラの環、水をたたえたフォスター港、そして右下にネプチューンズ・ベローズの狭い入口が見える。NASA Earth Observatoryの画像、作成Lauren Dauphin、アメリカ地質調査所(U.S. Geological Survey)のLandsatデータを使用。パブリックドメイン。 画像の出典 · Public domain · NASA Earth Observatory

情報源: Deception Island UFO Sightings(デセプション島のUFO目撃)Avistamientos OVNI en la Antártida en 1965(1965年の南極におけるUFO目撃)Deception Island incident(デセプション島事件)Ovnis en la Antártida: hace 60 años los gobiernos de Argentina y Chile afirmaron haber avistado platos voladores(南極のUFO――60年前、アルゼンチンとチリの政府は空飛ぶ円盤を目撃したと明言した)The Island Shaped Like a Horseshoe(馬蹄形の島)

6月の黄色い光

最初の兆しは初冬に訪れた。6月7日午後7時50分、アルゼンチン分遣隊の民間人気象観測員Jorge Stanichは、ぼやけた暈に囲まれた淡い黄色の光が、南西の空に5秒間じっと浮かんでいるのを見た。6月8日の未明、低くたれこめた雲の下に、彼はふたたびそれを4秒間見た。分遣隊の指揮官Daniel Perisséは後に、光が消えて2分後、Stanichが「ほとんど強さのない低い音」を聞いたと書いている。6月18日の午後には、翌日サンティアゴで報じられたチリ空軍の無線電報によれば、チリの駐屯部隊全員が、「一等星の光度をもつ天体」が島の東、地平線から60度の高さに現れるのを見た。それは左へ180度旋回し、さらに90度向きを変えて南へ去り、4時40分には消えていた。アルゼンチン側の電報は後にこのチリの目撃を6月20日とし、チリ基地の指揮官自身は6月13日と語ったと伝えられている。

情報源: Unidentified Flying Objects Sighted in Antarctica(南極で目撃された未確認飛行物体)Translation of official UFO reports from the Naval Ministry of Argentina(アルゼンチン海軍省の公式UFO報告の翻訳)Deception Island UFO Sightings(デセプション島のUFO目撃)Avistamientos OVNI en la Antártida en 1965(1965年の南極におけるUFO目撃)

チリ基地の見張り

7月3日土曜日の晩、デセプション島の空は、この季節には珍しいことをした。晴れたのだ。午後7時20分、Pedro Aguirre Cerdaで夕方の気象観測に回っていた軍曹Luis Moyaが光に気づき、12人の駐屯部隊のうち9人が外に出て見守った。光は黄色がかった赤から、緑、黄、橙へと色を変えながら、揺れるような軌道で島の南西を高速で横切った。Perisséが後に書いたところでは、その後ろには「航跡、どうやら蒸気らしいもの」が尾を引いていた。およそ20分間、光は止まり、動き、また止まり、やがて雲に呑まれた。伍長Uladislao Durán Martínezはぐずぐずしなかった。「カメラを取りに走りました。目の錯覚にだまされているのではないと証明する時間が残っているよう、祈りながら」と彼はClarínに語った。「全部で10枚撮りました……フィルムはカラーで、きっとうまく写っているはずです」。何枚かはそのまま、何枚かは気象観測員が気球を追うのに使う回転式の照準望遠鏡、セオドライトを通して、そして何枚かは誰かが手渡した双眼鏡越しに撮ったという。基地に暗室はなかった。フィルムは交代要員を乗せた船が来るまで待つほかなかった。

雪の吹きだまりの向こうに、白枠のドーマー窓のある赤い兵舎が建つカラー写真。手前の黒い火山性の地面には、高い台に載った白いよろい戸の気象観測箱があり、背後には雪原が広がる。
1958年1月、ペンデュラム湾のチリ基地Pedro Aguirre Cerda。手前にあるのが百葉箱だ。1965年7月3日、ここで夕方の気象観測に回っていた軍曹が、最初に光を見つけた。写真:Jorge Valdés R.、パブリックドメイン、Wikimedia Commons経由。 画像の出典 · Public domain · released by the photographer

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アルゼンチン基地の62分

チリの目撃が終わって2分後、今度はアルゼンチン側の番だった。午後7時42分、夕方の気象観測をしていた下士官Aldo Irustaが、北北西の空、高さおよそ30度に光を見た。後に記入した海軍情報部の質問票で、彼はそれを「ブンゼンバーナーの炎のようで、ラグビーボールの形をしていた」とたとえている。分遣隊の指揮官、海軍歩兵のDaniel Perissé中尉は、部下たちと、たまたま基地に滞在していた3人のチリ空軍兵を呼び出した。そのうちの1人は、骨折をアルゼンチンの医師に診てもらうために来ていた。彼らは肉眼で、双眼鏡で、そしてセオドライトを通して見守った。翌日ブエノスアイレスへ送られた無線電報は、赤い中心と、「黄から緑、橙、青、白へと変わる」縁をもち、半インチ釘の頭ほどの大きさで、丸から楕円の形をした光を描いている。それは静止し、加速し、逆戻りした。質問票によれば、光は低い層雲の陰には隠れたが、高い巻雲を背にすると見えていた。1時間2分にわたって光は空にとどまり、午後8時44分、小さくなりながら上昇して北西へ遠ざかった。Stanichは低感度のフィルムで、三脚もなしに、それを写そうとした。

木造の建物の前で、暗い色のコートを着た男性がマイクに向かって話している白黒写真。祭服を着た司祭と、つば付きの制帽をかぶった海軍士官たちが両脇に立ち、上の開いた窓から水兵たちが見下ろしている。
1961年3月8日、デセプション島のアルゼンチン基地で演説するArturo Frondizi大統領。目撃の4年前のことだ。写真:Archivo General de la Nación、パブリックドメイン、Wikimedia Commons経由。 画像の出典 · Public domain in Argentina (PD-AR-Photo) and the United States

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Base Bの料理人

イギリス人は蚊帳の外にいた。当時アメリカを代表する民間UFO団体だった全米空中現象調査委員会(NICAP)がイギリス政府にこの目撃について問い合わせると、イギリス南極観測局の局長Sir Vivian Fuchsは、Base Bが送った唯一の通信を転送した。「明滅する赤・緑・黄の光をイギリス基地より観測、2日2300Z、真北。西から2度の波を描いて素早く移動したのち、この進路を短い距離だけ逆戻りし、ふたたび北へ戻って約20分間静止した」。7月2日2300 GMTという時刻は、デセプション島では夕方の早い時間にあたり、チリとアルゼンチンの目撃の1日前になる。アルゼンチンとチリの電報は、イギリス側の目撃者を5人としていた。数十年後、UFO写真事例の目録FOTOCATのVicente-Juan Ballester Olmosと、スペインとアルゼンチンの仲間たちが、その一行の背後にいた人物を突き止めた。基地の料理人で、気象観測の当番にも立っていたBernard Chappelだ。「雲量を見積もっているとき、夜空の高いところに、明るいボトルグリーン色の球体を見ました」と彼は彼らに書き送った。最初は惑星だと思った。ところが「光は驚異的な速さで地平線のほうへ消え、数分後に戻ってきてしばらく浮かび、それからふたたび反対の方向へ消えていきました」。黙っていたのは、自分が基地でずば抜けて若かったからだ、と彼は言う。同僚のPeter Birdは、Bernieをほら話の好きな男として覚えていた。別の同僚でパイロットのJules Brettは、彼が話をでっち上げたとは思っていなかった。

暗く弧を描く海岸線に沿って見下ろした白黒写真。広い雪の斜面の下に、雪をかぶった建物、貯蔵タンク、高い煙突が集まっている。
1945年4月、風速計のマストから見たホエーラーズ湾。この年、イギリスの戦時作戦であるタバリン作戦が、古い捕鯨基地の建物のあいだにBase Bを開いた。写真:Alan William Reece、British Antarctic Survey Archives、パブリックドメイン(イギリス国王著作権の保護期間満了)、Wikimedia Commons経由。 画像の出典 · Public domain · UK Government work

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オルカダスの針

チリ基地の見張りより何時間も前、東北東に840キロ離れたサウス・オークニー諸島ローリー島の古いアルゼンチン基地オルカダスで、2人の気象観測員がすでに何かを見ていた。José MazzucchelliとEduardo Jarriekがそれに気づいたのは、その日の午後5時03分だった。翌朝送られた基地指揮官の最初の無線電報は、輪郭のくっきりした、あまり明るくない白く丸い光が、高さおよそ30度の放物線を描いて「西から東へ」横切り、15秒後に雲に隠れたと伝えている。2日後、2通目の電報が、この話を有名にする細部を付け加えた。地球の磁場の小さな変化を記録する基地のバリオメーターが反応したというのだ。「作動中のバリオメーター2台、物体目撃時に磁場擾乱の影響を受ける」。基地長のMiguel Sosa中尉はLa Prensaに、それは「バリオメーターのわずかな擾乱」だったが、「物体が強い磁性をもつ物質でできていたことを示すだろう」と語った。

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海軍が口を開く

先に動いたのはチリだった。7月6日の朝、El Mercurioが基地指揮官の無線電報を掲載した。9人が「その奇妙な天体」を見たこと、イギリス側が前日に何かを見ていたこと、Durán伍長がカラースライドを10枚撮ったこと、そして「この種の集団心理を誘発しうるような事前の連絡は、基地間に一切なかった」こと。指揮官のMario Jahn Barrera空軍少佐は、無線でサンティアゴの報道陣に語った。「われわれの観測は幻覚でも集団心理でもありませんでした……星ではなかったと言えます。非常に速く、絶え間なく動いていたからです……人間がつくった機械について私が知っているもののなかに、その形、その速さ、空中での機動性において、あれに近いものは何ひとつありません」。その晩、アルゼンチン海軍は「アルゼンチン南極地域における未確認飛行物体の目撃」と題する声明を発表した。声明は「レンズ状の形をし、固体のように見え、主に赤と緑で、ときに黄、青、緑、白、橙の色合いを帯びる飛行物体」を描き、それが欠けていく月のもと、並外れて澄んだ天候のなかで目撃されたこと、音はなく、速度を変え、ときに静止し、11人が15分から20分にわたって見守ったこと、そして「写真が撮影された」ことを伝えていた。翌日の第2報は目撃者を17人に増やし、「観測気球でも、星でも、飛行機でもない」と断じた。ブエノスアイレスの夕刊紙La Razónは、両国の軍が異世界からの訪問者の証拠を「30億の地球人」に突きつけるつもりなのかと、声に出していぶかった。

情報源: Avistamientos OVNI en la Antártida en 1965(1965年の南極におけるUFO目撃)Radio interview with the commander of the Pedro Aguirre Cerda base(Pedro Aguirre Cerda基地指揮官への無線インタビュー)A flying object over Antarctica wasn’t identified(南極上空の飛行物体は正体不明のまま)Ovnis en la Antártida: a 50 años del avistamiento en la isla Decepción(南極のUFO――デセプション島の目撃から50年)Ovnis en la Antártida: hace 60 años los gobiernos de Argentina y Chile afirmaron haber avistado platos voladores(南極のUFO――60年前、アルゼンチンとチリの政府は空飛ぶ円盤を目撃したと明言した)

円盤の冬

南極の物体はアルゼンチンのあらゆる新聞の一面を飾り、50年後にClarínが呼んだところの、冬じゅう続く集団心理にこの国は包まれた。ピラールの近くでは7人の若いハイカーがUFOを見た。バイア・ブランカの上空では光が写真に撮られた。8月1日にはパレルモ競馬場の双眼鏡が、コースから空の奇妙な球体へといっせいに向きを変え、やがて拡声器が発走5分前を告げた。海軍自身のUFO担当官Omar Pagani中佐は、さらに2件の報告を添えてNICAPに手紙を書いた。7月7日、ビーグル水道のゲーブル島にある沿岸警備隊の詰所で、銀色の円盤が2、3分浮かんだのち、水面を照らす明るい光線を残していった。Paganiによれば、隊員たちは南極のニュースを何も知らなかった。そして7月8日には、陸軍のエスペランサ基地が、デセプション島のものに似た物体を報告した。通信社はこの話を海外へ流し、話は伝わるほどに膨らんでいった。あるフランスの新聞では、赤と緑の円盤の「一大船団」が2時間以上も旋回していたことになっていた。ブエノスアイレス駐在のアメリカ海軍武官は4つの基地の無線電報の翻訳をワシントンへ送り、8月には国務省が大使館にさらなる情報を求めた。

情報源: El ovni que se paseó por la Antártida y disparó la psicosis argentina(南極を飛び回り、アルゼンチンの集団心理に火をつけたUFO)Translation of official UFO reports from the Naval Ministry of Argentina(アルゼンチン海軍省の公式UFO報告の翻訳)Unidentified Flying Objects Sighted in Antarctica(南極で目撃された未確認飛行物体)Celestial Body Observed over Antarctica(南極上空で観測された天体)Le Méridional、1965年7月8日Avistamientos OVNI en la Antártida en 1965(1965年の南極におけるUFO目撃)

闇のなかの10枚のスライド

アルゼンチン側の写真は何ももたらさなかった。Stanichの低感度フィルムに写っていたのは、2006年の彼の言葉を借りれば「何も、まったく何もない。せいぜい、何であってもおかしくない取るに足らない点がひとつ」だった。Perisséは後に、二重ガラスの窓越しに屋内から撮ったのだと語っている。誰もがDuránの10枚のカラースライドを待ったが、それはチリの交代要員が南へやって来るまで現像できなかった。1966年1月に交代した隊員たちが帰国すると、彼らはチリの研究家Pablo Petrowitschに、撮影者が不慣れだったために写真はうまく写らなかったと語った。後のある記述によれば、空軍はフィルムが感光してだめになっていたと発表したという。Jahn Barreraは何年も後に、人々は特殊なカメラを想像していたが、「われわれにあったのは自分たちのカメラだけで、それも氷やアザラシを撮るためのものでした」と語った。1969年、チリ気象局長のSergio Bravo中佐はマドリードの新聞ABCに、目撃した男に話を聞いたと語った。「私の教え子でした。しかし写真はありませんでした」。アメリカ空軍のUFO調査であるプロジェクト・ブルーブックは、チリの写真を、報道には出たが一度も提出されなかった画像のひとつとして記録した。Clarínの50周年記事は、その選択をこうまとめている。「陰謀か、何も写っていないコマか――あなた自身の冒険を選べ」。

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見たかった指揮官

物語の中心にいたのはDaniel Perisséだった。1965年にはまだ30歳前で、いくつかの証言によれば、すでに説明のつかないものに魅せられていた男だ。7月の目撃の前、彼はInstituto Argentino de Parapsicología(アルゼンチン超心理学研究所)と組んで、デセプション島と海外の志願者とのあいだでテレパシー実験を行う計画を立てていた。Peter Birdはその年の11月に母親へ宛てた手紙で、彼を7月の「空飛ぶ円盤騒ぎ」の張本人と呼び、誰かが冗談で色のついた光のことをPerisséに告げたのだと主張している。アメリカ空軍の資金によるコロラド大学のUFO研究、Condon報告書は、イギリス基地の隊長David Walterの回想を引いている。唯一のイギリス側の観測、つまり料理人のものは「どちらかといえば冗談として受け取られていた」こと、そしてチリ側の現象はアルゼンチン基地の上空で、アルゼンチン側の現象はチリ基地の上空で報告されていたことだ。アルゼンチン基地の民間技師Pablo JustoはFOTOCATのチームに、自分は何も見なかった、見たのはみなPerisséの部下だったと語った。Perisséは調べることをやめなかった。1966年から1974年まで海軍のUFO委員会に名を連ね、1987年にはワシントンのMUFONシンポジウムでデセプション島の話を語った。それでいて1991年には研究家Luis Burgosに、現代の技術に照らせば、あれがUFOだったとはもう言えないと語っている。

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火山の評決

デセプション島は沈黙を守った。1967年12月4日、火山が湾の内側で噴火した。チリ基地はその日のうちに退避して放棄され、イギリス隊も撤退した。1969年2月の2度目の噴火では泥流がホエーラーズ湾のBiscoe Houseを突き抜け、Base Bが再び使われることはなかった。アルゼンチンの基地は夏季だけのキャンプになった。廃墟となった小屋は、島のもっと古い幽霊たちの仲間入りをした。Fuchsによる観測局の歴史は、1960年代初めの「デセプションの幽霊」について語っている。全身を包帯で巻かれた人影で、捕鯨者たちの墓地にだけ現れたという。またある夜、怪談が語られていたさなかに、誰もいない屋根裏から足音が聞こえたこともあり、聞き手のなかにはアルゼンチン基地の指揮官もいた。後の語り手たちはさらに話を広げ、氷の下の異星人基地や、1967年の噴火の上空に楕円形の物体が写った写真について語った。コリエンテスの新聞El Litoralはその写真を未公開としているが、掲載はしていない。チリの指揮官のその後の人生は、暗い方向へ向かった。Mario Jahn BarreraはPinochetの秘密警察DINAの副長官となり、18年にわたってチリの航空博物館を率い、死の1年前の2012年、1975年のDINAによる殺害事件で有罪判決を受けた。

灰色の湾のそばの黒い火山灰の上に、ねじれて錆びた鉄骨と折れたコンクリートの柱が立つ写真。対岸には雲をかぶった丘が見える。
1967年の噴火のあとに残ったチリ基地Pedro Aguirre Cerdaの跡、2016年12月。写真:Rob Oo、CC BY 2.0、Wikimedia Commons経由。 画像の出典 · CC BY 2.0 · Rob Oo

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情報源とインタビュー

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Avistamientos OVNI en la Antártida en 1965(1965年の南極におけるUFO目撃)Vicente-Juan Ballester Olmos、Manuel Borraz Aymerich、Heriberto Janosch González、Juan Carlos Victorio Uranga · Informe FOTOCAT第3号 · 2012年12月完成 · 全183ページ、英語の結論付き · アルゼンチン海軍の質問票、イギリス国立公文書館のファイルAIR 2/17982、イギリス南極観測局の書簡、存命の目撃者への聞き取りに基づくDeception Island UFO Sightings(デセプション島のUFO目撃)Daniel A. Perissé著、Willy Smith訳 · MUFON 1987 International UFO Symposium Proceedings、142~154ページ · アルゼンチン分遣隊の指揮官自身による記述Unidentified Flying Objects Sighted in Antarctica(南極で目撃された未確認飛行物体)ブエノスアイレス駐在アメリカ海軍武官 · 国防総省情報報告書5 804 0048 65 · 1965年7月16日 · 海軍水路部が提供したアルゼンチンの基地の無線電報4通の逐語訳 · NICAPによるスキャンCelestial Body Observed over Antarctica(南極上空で観測された天体)在ブエノスアイレス・アメリカ大使館 · 国務省エアグラムA-208、秘 · 1965年9月4日 · 回覧エアグラムCA-1887への回答 · NICAPによる複製Translation of official UFO reports from the Naval Ministry of Argentina(アルゼンチン海軍省の公式UFO報告の翻訳)アルゼンチン海軍Omar R. Pagani中佐、1965年7月9日付NICAP宛書簡 · NICAPニューヨークによる翻訳、1965年7月27日A flying object over Antarctica wasn’t identified(南極上空の飛行物体は正体不明のまま)Clarín(ブエノスアイレス) · 1965年7月7日 · NICAPニューヨークによる翻訳、1965年7月16日Radio interview with the commander of the Pedro Aguirre Cerda base(Pedro Aguirre Cerda基地指揮官への無線インタビュー)El Mercurio(サンティアゴ) · 1965年7月7日 · NICAPニューヨークによる翻訳、1965年7月26日UAOs Over Antarctica(南極上空の未確認空中物体)The A.P.R.O. Bulletin · 1965年7~8月号 · NICAPによる書き起こしLe Méridional、1965年7月8日Patrick Gross · UFOs at close sight · 「円盤の船団」を伝える通信社記事を載せたフランスの新聞切り抜きIndirect Physical Evidence(間接的な物理的証拠)Roy Craig · Scientific Study of Unidentified Flying Objects(Condon報告書)、第III部第4章 · 1969年 · オルカダスの磁気記録とBase BについてAntarctica, July 3, 1965(南極、1965年7月3日)Francis L. Ridge · NICAP事件目録 · Richard Hallの要約と1965年の文書のスキャン付きEl ovni que se paseó por la Antártida y disparó la psicosis argentina(南極を飛び回り、アルゼンチンの集団心理に火をつけたUFO)Clarín · 2015年7月 · 50周年の特集記事。Historia de la Flota de Marに転載Ovnis en la Antártida: a 50 años del avistamiento en la isla Decepción(南極のUFO――デセプション島の目撃から50年)Luis Emilio Annino · CEFORA · 2015年Ovnis en la Antártida: hace 60 años los gobiernos de Argentina y Chile afirmaron haber avistado platos voladores(南極のUFO――60年前、アルゼンチンとチリの政府は空飛ぶ円盤を目撃したと明言した)Rubén Morales · Los Andes(メンドーサ) · 2025年6月20日1965: cuando los ovnis invadieron la Antártida(1965年――UFOが南極に押し寄せたとき)Alejandro Agostinelli · Factor 302.4 · 2012年12月9日The 1965 Deception Island sightings(1965年のデセプション島の目撃)Patrick Gross · UFOs at close sight · 新聞資料の一覧を添えた事件ページArgentine officials on UFOs(UFOについてのアルゼンチン当局者の発言)Patrick Gross · UFOs at close sight · Fundación Argentina de UfologíaのLuis Burgosが集めた発言Un ovni visto sobre la Antártida(南極上空で目撃されたUFO)El Litoral(コリエンテス) · 2024年6月23日Daniel PerisséWikipedia · スペイン語版Mario Jahn BarreraWikipedia · スペイン語版Deception Island incident(デセプション島事件)Wikipedia · 英語版 · 1953年、イギリスによるアルゼンチンとチリの小屋の撤去Deception Island(デセプション島)Wikipedia · 英語版 · 地理、基地、1967~1970年の噴火The Island Shaped Like a Horseshoe(馬蹄形の島)NASA Earth Observatory · 2018年3月23日のLandsat 8画像OVNIS en la ANTARTIDA | El evento de la Isla Decepción 1965(南極のUFO|1965年デセプション島の出来事)Testigos de lo Oculto · YouTube · スペイン語による語り直し

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